HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

陸軍と海軍

先日、靖国神社遊就館に行ったとき、遺書の類の展示は圧倒的に海軍のものが多いことに気づいた。

昨日の日本軍の活動範囲の地図のアイコンを陸軍と海軍で変えてみた。まだ全然不十分だし、知識のあまりに少ない私が作っているので多くの間違いがあるだろう。

日本軍活動範囲 - Google Maps

にしても、二本の足で歩く軍隊としては考えられない広さだ。陸海軍会わせれば、地球の表面積の4分の1ないし、8分の1を占めるだろう。

私はもともと海上自衛隊志望だったこともあり、海軍に対してある種の思い込みがあった。陸軍の活躍を過小評価していたし、陸軍の不合理さをあたりまえのものだと半ば思っていた。

だが、ここのところアジアの太平洋戦争と諸国の独立を学んで、陸軍の活動の意義とか、真剣にアジアの独立を考えた人たちがいたのだと知った。また、陸軍の出した戦死者は海軍の比ではなかったのだとも。

1942年3月7日、連合軍の拠点ポートモレスビーの攻略を狙った日本軍がラエとサラモアへ上陸して本格的な戦端が開かれ、ダグラス・マッカーサー大将が率いる連合軍との間で1945年8月15日の終戦まで戦いが続けられた。連合軍の優勢な戦力の前に日本軍は次第に制海権・制空権を失って補給が途絶し、将兵は飢餓や過酷な自然環境とも戦わねばならなかった。ニューギニアに上陸した20万名の日本軍将兵のうち、生還者は2万名に過ぎなかった。また台湾高砂族による高砂義勇兵や朝鮮志願兵、チャンドラ・ボース支援のインド兵も戦闘に参加している。

ニューギニアの戦い - Wikipedia
  • 両軍の損害 [編集]
    • 日本軍  
      • 尚武集団:戦死9万7000人
      • 振武集団:戦死9万2000人
      • 健武集団:戦死2万8000人
    • アメリカ軍  
      • 第6軍:戦死8310人、戦傷2万9560人
ルソン島の戦い - Wikipedia

よくよく考えてみるべきことがらが陸軍と海軍の間にある。

陸軍の出した、絶望的という言葉ですら足りない犠牲者を思えば、まだ海軍の特攻の方が実効性があったに違いない。恐ろしいことだ。なんと表現していいか言葉が見つからない。