HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「おかえりなさい」

男に「キープ」扱いされた女増田が話題になっている。

このエントリーはほとんど柴田よしきの短編「LAST LOVE」そのものだ。

スペックも、趣味、顔も好みに合った彼氏と5年つきあう。深く愛し合っていたはずなのにどうしても結婚にもちこめない。あげくに、彼氏から「愛する人が出来た。明日告白する。告白の結果がどうなっても、これが最後の女になる。別れてくれ」と告げられる。

女増田で話題になっているのは、付き合っている男女のスペックと結婚に求められる関係性は違うのかという点。これはなかなか難しい。恋愛と結婚は違うと言い切っている男女が私のまわりには多い。ちなみに、私の周りの男女とはもう中年もいいところ。恋愛も、結婚も、甘いも、苦いも、なめ切っている連中ばかりだ。

話しは離れるが、この短編集で一番印象に残ったのは、角田光代の「おかえりなさい」という作品だった。恋愛小説なのに、若い女は出てこない。出てくる女は、老婆だけ。偶然会った主人公を昔の男と勘違いして家に迎え入れる。すでに痴呆がはじまっているに違いない老婆。それでも、男にこころづくしの料理ともてなしをする。

ひと昔前の女は、男の面倒をみることに愛を感じたという。そういう女は、「支配しない愛」、相手に尽くす愛を知っていた。

男が女の人生に責任をもち、女が男の生活をなにくれとなく面倒をみるという、日常の愛はなくなってしまった。苦労はしても男は、自分を待っていてくれる女を持つこと自体に満足する。女は、男に自分の好みの服を着せたり、自分の料理を食べさせることが愛だと想う、いや思っていた・・・、はずだ。ついこの間まで、そういう夫婦は珍しくはなかった。

だが、リアルで目にする私の同世代以下の夫も妻も毎日不満たらたらで生きている姿ばかり。

不思議なものだが、失われて初めて共に過ごす日常の大切さ、なにげない男と女のやりとりのありがたさが身にしみる。老婆の中で、どのように失われた男との日常が結晶化されたのかは、この小説では見えてこない。ただ、なにか確かなものを築く手応えがなければ、男と女の間は続かない。

翻って、女増田とその相手との間の愛はどのような愛であったのだろうか?