HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「生きる技法」と自己嫌悪と無所有

恐ろしいことが書いてあった。

命題12−8 ★あなたを操作して利用する人は、あなたの自己嫌悪を利用する。

命題12ー9 ★ あなたが自己嫌悪を乗り越えようとすると、憤激して妨害する人は、あなたを利用している人である。

生きる技法

生きる技法

私の「自己嫌悪」を利用して私を「支配」しようとする人は、私にごく近い人のことが多い。そりゃそうだ。

人の根っこのところの「自己嫌悪」を利用して、相手を支配しようとする執着心を私は「支配する愛」と呼んでいる。

リアルの世界は、支配しようとする意思でいっぱいだ。「愛している」といいながら、自分の意思を相手に無理やりに通すことを「暴力」と呼びたい。愛だと口ではいいながら、愛の名のもとに相手を支配することは暴力意外のなにものでもない。安冨歩先生がハラスメントと読んだのは、愛の形をとった支配しようとする意思ではなかったか?

愛と嫉妬と支配と暴力 - HPO機密日誌

ある時、私の「自己嫌悪を利用」して、私を「支配」しようとする人のうちの一人が誰であるか気づいた。気づいて私にとって大変なことになった。人生が変わってしまった。

ともあれ、安冨先生の示された、自己愛から自愛への道、自己嫌悪から成長への道に大変共鳴する。

本書から、「自愛と成長の道にあれば必ずしもお金がいらない生活ができる」という命題をひっぱりだしては不適切だろうか。昨年ほんの少し垣間見た一燈園生活は、自愛と成長の道だと私は想う。お金も、所有物もすべて手放して生活できれば「支配」されることもなくなる。

d.hatena.ne.jp

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もしかすると私は私が築いてきたものの基盤にさらなる「自己嫌悪」があったと気づくことになるかもしれない。その可能性に恐怖を感じている。だが、そこに気づかないと真の幸福を感じることはできないのだろう。

うーん。


■追記

そうそう、池田先生と安冨先生の「論争」がまだ終わらないみたいだけど、父権社会の解消をよく口にされる池田先生に本書を読んでもらえれば、両先生の帰着点が同じであると気づけて、解消するんじゃないかな。