HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「懺悔の生活」

西田天香さんの「生活」の仕方に改めて感動した。

懴悔の生活

懴悔の生活

「無一物中無尽蔵」をここまで実践するのかと驚嘆の想いで満たされた。

どんな数でも零で割りますと無限になる。南無阿弥陀仏に本当に生きた一人の住職があるならば、その檀家はみな長者になったといってもよろしい。祖師の御足の後を歩む住職の後方から檀家はみな歩んでいくべきです。(中略)賢がって変わったことをなさないでもよい。祖師の通り、生活まで貫いて大安心をきめてみれば、あとに残ってある今までの財産は仏様からの預かりものとなってしまうのであります。奪い合いすることも睨み合いすることもいらぬ。生活だけはしかがたないということもいらない。この生活を教えて及ぼせば唯物史観側の改造論に劣らぬものができるはずです。

制度から入ろうとするといろいろなことが失敗する。短期的にうまくいっているのは、その制度を作った人たち自身が想いを込めてその制度を運用しているから。どのような社会制度であれば、制度が問題なのではなく、それを運用する人たちのこころと行動こそが要なのだ。

西田天香さんがおっしゃるとおり、資本主義でもなく、共産主義でもなく、「無一物中無尽蔵」を実践する人が集まって社会を形成すれば、争いのない平和でこころ豊かな生活が実現することを実感する。天国も地獄も状況はかわらない。丸いテーブルにたくさんのごちそうを人々が囲んでいる。天国と地獄で違うのは、人々の手にくくられた長い箸で人の口にいれてあげるか、自分の口に入れるというむなしい努力をつづけるかだけだ。それを制度の側でなく、人の信仰の側から、こころの側から作っていくことが大切だ。

いらないことを書いているが、本書を読んで自分の心持ちが変わった。本書には、天香さんの生活の全般が書いてある。どうやって一燈園生活にいたったか?、日常の生活の仕方は?、様々な問題にどう対処するか?、既存の宗教、宗派との関連は?、そして、結婚のあり方にいたるまで、天香さんの零に立ったお考えはすばらしいし、物語る力がすごい。