HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「アンナ・カレーニナの原則」

ようやく「銃・病原菌・鉄」の上巻を読み終えた。本題からはずれたところに反応してしまった。人の不幸の意味を考えさせられた。

トルストイがいおうとしたのは、男と女の結婚生活が幸福であるためには、互いに異性として相手に惹かれていなければならない、金銭感覚が一致していなければならない、そして、子供のしつけについての考え方、宗教観、親類への対応などといった、男と女が実際に生活をともにするうえでいろいろ重要な事柄について、二人の意見がうまく一致していなければならない、といことである。

銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎

銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎

例の「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」だ。

それぞれの不幸はそれぞれの原動力であり、絶対的な不幸は存在しない。

そう、たとえば、ヒトの遺伝上の欠陥は、ケモノとしては不幸であった。

しかし、このケモノとしての不幸は、農耕たのめの複雑な統制と人口の集中化が現代につながる文明社会に変化するためのきっかけであった。なぜ複数の植物を栽培する農耕が必要であったかといえば、ヒトは遺伝上の欠陥で自分で必須アミノ酸を合成できないからだ。*1例えば、ヒトとサルとモルモットだけがヴィタミンCを体内で合成できない。

ヒトは、ケモノとしては遺伝上の欠陥を抱えていたがために現在の文明社会に至ったと考えるのは間違いだろうか?

それが、男と女のすれちがいによる不幸であれ、遺伝上の一見不幸であれ、絶対的な不幸というものはない。新たな出会いのきっかけであり、あらたな文明のきっかけなのかもしれない。

*1:「例えばアスコルビン酸は、コラーゲンの生成などの水素運搬体を必要とする多くの代謝経路に必須で、動物の生存に欠かせない生理活性物質であるが、ほとんどの哺乳類にとって体内で合成されて必要をまかなう物質である。しかしヒトを含む多くの霊長類やモルモットのような一部の哺乳類では、これを合成する代謝経路を持っておらず、体外から食物としての摂取が生存上必須となっている。」Óタミン - Wikipedia