HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

愛とは狂気

愛って狂気だなと。 

では、狂気とはなにか?

狂気とは、その定義から言って、理性と合理性の反対にあるものだ。

理性と合理性とは、自分の損になる行動はしないということだ。生存を求める行動の方向だ。

人の理性と合理性がどこまで先の時間を含んでいるか、どれだけの範囲の人の幸せを考えているかで大きく違う。が、そっちの方向は一旦置く。

たとえそれが自分の子どもであれ、家族であれ、恋人であれ、他者のために自分の命を犠牲にしてもよいと思える愛があることは、合理性ではない。

進化論だの、群としての適応だのから言えば合理的だといわれても、目の前のこいつのために命をなげうってもいいと思える自分の愛には合理性はおいつかない。


愛とは狂気だ。愛ゆえに嫉妬する。嫉妬は文字通り狂気だと身をもって知った。40をすぎて初めて狂気を知った私は阿呆に違いない。

愛とは狂気だ。人を駆り立て、人を落ち込ませ、人を走らせ、人の歩みを止める。

愛とは狂気だ。10ヶ月も腹を膨らませ、死ぬ思いをさせられ、そのあと十数年にわたって養育しなければならない子どもをいとおしいと女たちは言う。

愛とは狂気だ。非経済、非合理を愛の名の下に強制させられる。そして、非経済、非合理の行動を愛だと言う。

愛とは狂気だ。自分がその行為によって死ぬとわかっていても、愛するもののために、行動してしまう。

愛とは狂気だ。人を憎ませ、人を怒らせ、人をめいらせる。それを愛の痛みだと受け入れる。

愛とは狂気だ。非合理に人を支配させ、人に支配され、人を服従させ、人に服従させられ、人を...それを愛という理由で正当化する。

愛とは狂気だ。憎悪をも愛と言う。

愛とは狂気だ。 侮辱され、拘束され、くみしだから、苦痛をあたえられ、さげすまされても、それを愛だと感じてしまう。

愛とは狂気だ。すべてはそこから始まり、すべてはそこで終わる。

愛とは狂気だ。すべてを創造し、すべてを破壊する。

愛とは狂気だ。愛は、愛の名の下に、愛を裏切る。


ちょっとフォローな話し...

女性は、わざとしかってほしいときがあるらしい。

このことをTAの言葉で言えば、負のストロークでもストロークとして受け入れるということなのかもしれない。 

TAの基本的な考え方。人には、子供のこころ、大人のこころ、親のこころの3つがある。相手によってそれぞれのこころが対応しあうという。子供 のこころどうしがぶつかるとけんかになるし、養う親こころどうしてもうまくいかない。大人こころだけだとぎすぎすしてしまう。

親のこころと子供のこころがかなりしっくりくる、らしい。大人の理性からみればそれは依存的関係ともいえる。まぁ、人と人との関係はどっかで変態的なものがふくまれている。依存的でも仕方ないと私は思う。

この3つのこころが発現する行為をストロークといっていい。ストロークとは、抱きしめてあげるとか、髪をなでてあげるとか、ほほえんであげるとか、あなたのことを認識しているよというサインをなげてあげること。負のストロークとは、正のストロークがもらえないときに、病気になったり、わるいことしたりして、注意を呼ぶこと。

だから、愛と一体である女性は、負のストロークでも、ストロークと受け入れる。

だから、女性はわざとしかったほしいときがある。


■ナイスタイミング!

愛は、多分、理由を捨てること。
9:47 PM Mar 25th via Echofon
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finalvent

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■感想いただいた

ついっとしていたのを見て、感想をいただいた。公開していいというお許しもいただいた。感謝したい。

一途な愛は一本の細い繊維のようなものなのかと考えました。
でも、一途であっても、きっとごく細い細い何本かの繊維が寄り合わされて
それが1本の細いまっすぐな糸をなしているのだろうとおもいます。
愛の狂気も、敬意も、信頼も、寄り合わされて永く続くのだと。