HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

モナドではなく、アトムでありました

実に面白い。

人は原子、世界は物理法則で動く―社会物理学で読み解く人間行動

人は原子、世界は物理法則で動く―社会物理学で読み解く人間行動

この本は自分がトライしようとしても、一歩もすすめなかった状況の先の先を示している。すばらしい。


以下、自分のためのおさらい。

ずいぶん昔に哲学の授業で、人の認識とはネットワークではないかというレポートを作った。そう、四半世紀も前の話だ。

中埜先生は、カントの認識論やモナド論を講義してくださった。ホフスタッターの「現代思想」に掲載された論文をもとにひとつのモデルを考えた。それは、風船の中に認識の「単子」がふわふわうかんでいるという「映像」であった。それらの「単子」が、「さる」とか、「都市」とかの認識を表わす。そして、感覚的な記述にあたる部分を「手」としてもっている。「さる」だったら、「毛むくじゃら」とか、「ヒト型」とかいう記述の「手」を持つ。「都市」だったら、「におい」とか、「集中」とか、「混雑」などの記述の「手」をもつことになる。記述であるので、当然つなげあえる「手」とつなげあえない「手」がある。感覚的な刺激を受けた時や、思考が動く時にそれらの「手」がつながれ、「単子」同士の構造体が構成される。いや、「手」をつなぎあい、「単子」が構造体になるときに認識が生じるのだとした。脳の中では、常にそれらの「単子」が接合したり、離れたりすることで、認識が生じ、思考が走る。

自己はひとつ - HPO:機密日誌

5年前にブログを書き始め、さまざまな刺激をいただき、さまざまな発想が生まれた。

核心はこの辺。

ネットワークにおいて、あるノードが果たす役割は、そのノードと同じ瞬間にリンクしている他の全てのノードとの関係によって、またそれによってのみ決定される。ノードは、他のノードとの関係においてのみある役割を持つのであって、単独で存在するノードには意味がない。

ここに自己組織化がからんでくる。いわば「単子」の構造体は、自己組織化の力を持っているからこそ、「思考」が進むのだと。カウフマンは実際巨大分子の成長の様子を、私の想像のとおりに記述している。

自己組織化と進化の論理―宇宙を貫く複雑系の法則 (ちくま学芸文庫)

自己組織化と進化の論理―宇宙を貫く複雑系の法則 (ちくま学芸文庫)

この仕組みは、社会ネットワークに応用できるであろうという予感はあったが思索として今日までなにも発展させられなかった。

社会ネットワークでも熱力学と同様のモデル化が可能であれば、社会ネットワークモデルの外形を決める境界の設定と、外部とのパラメーターやりとりの仕方、そして参加者であるヒトであれば生活習慣ともいうべき適用される個々の振る舞いの仕方を定義できれば、その巨視的振る舞い不安定が安定か、永遠の軌道を持つカオスなのか、周期モデルであるのかといったレベルでは予測できる。

開放系の組織論 nonequilibrium open system: HPO:個人的な意見 ココログ版


本書には、人をアトムとしてとらえ、ネットワーク、自己組織化という視点での思考と、その実例について明確に述べられている。昨今のネットワーク、複雑系の研究の社会現象への応用は、人の社会学社会心理学的な思考に初めてなにが中心的な構造であるかを発見する道具立てを与えてくれる。瑣末なパラメーターの設定ではなく、シミュレーションの技法を使って、為替の変動や、人種による棲み分け、戦争の勃発などにたいして、明確な議論のできるモデルが設定可能だと主張している。*1

重みづけのない議論は空しい。

これからの政策議論は、「そのモデルを走らせても、過去の現象の説明できない」とか、「個々の利害に基づくパラメーターの問題ではない。社会構造の根本原因はこうなのだと社会学的動学モデルでしめされている」という実質的なものにかわってほしいものだとつくづく感じる。

そう、モナドではなく、アトムだったのだ。

*1:ただし、ハリ・セルダンのような形ではない。モデルの構成はほとんどの場合、相転移状態を示し、結果的にべき分布を示すであろう。この場合、起こりうる事象の強度とある程度の確率は示せても、いつ、どれくらいの規模でことがおこるかという予想、予言はできない。