HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

ドラッカーは隠居文化を進めているようにしか思えない

「プロフェッショナルの条件」を読了したのは承前

さてさて、余談のはずだった前のエントリーの方が長くなってしまった。このままだと本書一冊をそのまま引用してしまいそうだ。*1

読んでいるときから、田舎者としてはドラッカーが「地域」をどうとらえていたかがどうしても気になって仕方がなかった。本書は、個人個人がいかに成果をあげるかに焦点をあてている。そして、その個人の成果の集積としての組織が社会の主役となるとしている。ただし、組織とコミュニティーのかかわりについては、組織はコミュニティーを超えるのだと書いている。逆に、組織はコミュニティーを越えていかなければつぶれるばかりだと、今にも底がぬけそうな今日の日本の状態を予言している。

組織には破壊的な側面がある。コミュニティーに根付かなければならないが、コミュニティーの一部になりきることはできない。(中略)したがって、組織は常にコミュニティーを超越する。組織の文化がコミュニティーの価値と衝突するときには、組織の価値が優先する。さもなければ、組織は貢献を果たせなくなる。

このすぐ先の別の箇所で、結果的に「これからの組織は、さらにコミュニティーを動揺させ、解体し、不安定化していく」とも述べている。組織は小さくはじめろといい、ごくごく小さな地域限定で商売を始めろとも言いながら、「組織はコミュニティーに超越する」ですか?といいたくなる。

つまりは、会社組織中心の社会では地域やコミュニティーは衰退せざるを得ないだろうと間接的に書いている。

だが、これで終わらないのがドラッカーだ。ちょっと長いが引用させてもらう。

明日の教育ある人間は、グローバルな世界に生きる。そのグローバルな世界が西洋化された社会である。教育ある人間は同時に、部族化しつつある世界に生きる。彼らは、ビジョン、視野、情報において世界市民である。しかし同時に、自らの地域社会から栄養をすいとるとともに、逆に、その地域文化に栄養を与える存在である。

ドラッカー非営利のボランティア組織や、いまだに労働集約型産業でしかない医療などのマネジメントに、晩年はエネルギーをそそいでいたことが思い出される。つまりは、教育ある人間は、功なり名を遂げ、人生の目標を早めに達成してしまう。そのあとは、非営利団体ですごせと。それだけが、地域を守る道なのか?ちょっとさびしい。

ツイッターで各国の政治すらも横並びに比較できるフラットな時代では、どこまでもグローバルに地域を超越することでしか組織は生き残れないのか?id:finalventさんの御言葉を引用させていただく。

政府というものがGoogole的なものになると思う。

http://twitter.com/finalvent/status/4614695057

ま、それでも功なり名を遂げた方々が素直に後進にその座を譲れば、自然に世代交代し、次世代のリーダーは育って不思議ではない。ま、日本で、特に日本の地域でおこっているのはま逆の世界なのだが。