HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

企業、行政、公正

坂道を登りながら考えた。登り坂の時は、勾配の急な方を選んでいけば、かならず上に上がれるのだと。下から上は見えやすい。頂までの登攀ルートが誰にでも見える。


夕張は、メロンもあれば、石炭博物館もある。タレントというよりはすでに事業家と呼ぶべき田中義鋼氏の花畑牧場の出店もある。話を聞けば、すでに若年層の雇用が地元で足りなくて、近隣から呼び寄せているそうだ。そういえば、昨晩お世話になった駅前の屋台村の方も夕張の外からきていると言っていた。夕張市の負債の返済が18年もかかるという重苦しくのしかかる不安以外は、夕張はまだまだ元気であるように私には見えた。

私は民間企業の人間なので、夕張市がやってきたことが民間であったらどうかと考えた。昨年、水俣チッソを見てきて、どれだけ巨額であっても、補償に関わる負債を、民間でも負担することは可能であると理解した。なぜなら、民間企業であるチッソには、本来の肥料や農薬以外の事業を開発することができたから。数百億の負債を負担したうえで、現在も経営を続けるという荒技は、その地に固定された行政ではできない。交付金や公債しか資金調達の方法のない行政と違って、ファイナンスの方法も無限にある。民間は、地に固定されていない。

また、民間企業であれば倒産などといった、借入を圧縮してもらう道も残されている。夕張市がどこから350億円ものお金を調達してきたのか知らないが、民間であれば、債務超過となっても事業を継続させてリスケジュールや、いま話題のADRなどの手法で再建させるのかの選択の余地がある。

「資産」という流動化可能な所有権が民法上定義されえない公共団体では、当然この手法は取れない。つまりは、国が肩代わりする以外に事実上返済不可能な負債を減免する方法はない。

石炭博物館などを含む観光資源開発も、せめて第三セクターという民法、商法の対象となる法人が主体であれば、その不良債権処理に18年間もかからなくてすんだのではないだろうか?鉱山を閉めることに伴うさまざまな負担も、チッソのように行政の援助の下で、民間企業の範囲内でけじめをつけさせることは可能であったのではないだろうか?次から次へ、夕張市が負の資産を買収しつづける必要はなかったのではないだろうか?


登り疲れて折り始めて気がついた。降りる道の方が先が見えにくいのだと。また、降りるルートを間違えれば途中で滑り落ちてしまう可能性も、安全な道ではなく危険な沢に下りてしまうこともあるのだ。


もうすこし、視点を遠くに引いて公共団体と民間企業を比べてみる。民間と行政の間には、公正さを最優先しなければならない義務の問題がある。民間企業であれば、経営者が自分の信念に従って、社員と顧客と関係者を幸せにするために事業を執行する限り、多数決など必要ない。もちろん、その信念を形にする経営方針、経営計画、遂行が間違っていれば経営者は全面的に責任を負わなければならない。

公共団体では、公正さが優先される。首長の意思と選択が長い目で見て正しかろうが、間違っていようが、議会や行政を査察する組織、そして法律によって、監視され制限を受けなければならない。数年に一度は必ず多数決主義で、選挙の洗礼にさらされなければならない。*1

夕張市で、一目で苦慮されていることがわかるのが、大量の市営住宅だ。もともと民間企業のものであったと思われる住居をそもそも買収しなければならなかった理由が私にはわかりかねる。それにしても、行政が破たんした現在にあっても、維持しなければならない理由がわからない。街の再生を拒むのが「公正さ」ではなかろうか?公正さを優先しなければならない夕張市の行政は、市営住宅を集約化するためのアンケートをとったら、六割の住民が転居を拒んだのだそうだ。

この下り坂社会の方がどちらに進むべきか先が見えない。


■参照

これは重要な記事。

ひとつは、バブル崩壊が明らかになっていた2002年に夕張市中田鉄治前市長は、松下興産が所有し営業を打ち切るとしたスキー場やホテルなどを26億円で買収すると決断したことだ。松下興産は夕張のリゾート開発に130億円ほどかけたと言っているが、それを26億円で買い取るのは決して安い買い物ではない。北海道で人気を博したトマムリゾートは運営会社の一社が自己破産(1998年)し、800億円かけて完成したと言われる施設を村が約5億円で取得した。

夕張市の財政破綻に見える陰(下) 【岸田コラム】

ありゃ、またタイムリーな。


■どうなんだろう?

国より案外企業、企業人の方がたくましいかもしれない。

*1:もっとも、ごく小さな行政体ではこの監視の目が行き届かず、首長の暴走や贈収賄に至るケースが最近目立つもの気になるところではある。