HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

余談、あるいはこの世にエリートは必要か?

昨日から、ドラッカーづいている。

今朝、テレビを見たらユニクロ=ファースストリテイリングの柳井社長がNHKでしゃべっていた。いわく、「すべての社員はリーダーだ。仕事は現場で行われている。すべての現場に私がいれるわけではない。社員ひとりひとりがまわりの人間をまきこんでいく、知識労働者であり、リーダーでなければ会社はつぶれる。社長の言うとおりにやっていればよいという時代ではない。」という趣旨のことをおっしゃっていた。実に共鳴した。

話をもどして、昨日、冗談半分に枕にドラッカーについて書いた。時間分析について確かに読んだと記憶しているのだが、出典が思い出せない。あれこれひもといているうちに、id:fromdusktildawnさんとドラッカーが同じことを言っているのをたまたま発見して感動してしまった。

まずは年の功でドラッカーから引用。

エリート教育は許されない

今日許されざるものの一つが、地位、権益、支配を特権的に与えるエリート養成機関である。

(中略)

特定の大学に特権的な地位を与えることは、知識の本質はもとより現代社会のニーズとも相容れない。要するに、何人に対してであれ、成果をあげ、可能性を追求し、上り詰めていく道を制約することは許されない。そのような贅沢など許されないほど、知識ある人間は大量に必要とされている。

イノベーションと企業家精神 (ドラッカー名著集)

イノベーションと企業家精神 (ドラッカー名著集)

つづいて、フロムダさん。

この社会にエリートはいらない

ここで重要なのは、ネットの誹謗中傷揚げ足取り炎上によって「偉さ格差」が大幅に減少したとしても、社会はそれほど大きな問題もなく機能してしまう可能性がある、という点だ。

つまり、この社会にエリートは必要ないのである。

エリートがいなくても、この社会は十分に維持・発展できるし、むしろ、エリートの存在は、人々の総幸福量を減少させる害悪かもしれないのだ。

ネットの炎上は人類進化の必然で、健やかなる新時代を拓く鍵かもしれない - 分裂勘違い君劇場

柳井社長の考える知識労働者の世界ではほんとうにエリートはいらない。ただ、エリートのいらない会社を作るためには柳井社長のように極端にすぐれたマネジメントのできるスポンサーが必要なのだということが、まがりなりにも組織の長をさせていただいていて感じる人生の教訓。民主主義、横並びの国はあっというまに衆愚に陥ってしまうものなのだ。衆愚に陥らないためには、たった一人でもいいから守護者が必要になる。歴史をひもとけばこれも自明の理なのだと私は思っている。いや、ドラッカーやフロムダさんに「あんたは間違っているよ」とケンカを売るつもりはないけどね。

ついでに、弾さんからの反論にもひとこと。

フラット化する世界というのは、山がない世界ではなく、山の勾配がずっときつくなる世界ではないのか。富士山がなくなる代わりに珪林があちこちに出来る世界ではないのか。昔だったら教室一→校内一→市内一→県内一→全国一ときてやっと世界一に対峙していたのが、いきなりラスボスに出くわす、そんな世界ではないのか。

404 Blog Not Found:hoge化する小飼弾、あるいは権威の未来

これはつまりは、適応度地形の話につながる。

それにしても、「ブラックスワン」の日本語版が出版されたのは喜ばしい。適応度地形やベキ乗則の概念がごく普通のビジネスで会話されるようになるといろいろ変わるのではないだろうか。

風呂敷だけ広げといてなんなのだが、組織のための仕事をしなければならないので、とりあえずここでやめとく。また加筆訂正するかもしれない。特に望月さんの訳における「ベキ乗則」の扱いにはひとこと申しあげたい。