HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「哲人政治や真の共産政治」は完全な意思の実現能力を持つ

先日、エルさんからコメントをいただいた。

哲人政治や真の共産政治なら無慈悲に国の計画原案通りの凄い成田空港と都心や羽田空港との半端無いアクセスルートが完成していたでしょうね。

横風用C滑走路を撤回させたやつらは今回の事故に対してなにをいうのだろう - HPO:機密日誌

まさにそのことを考えていた時にその通りの言葉をいただき、心臓がどきどきした。民主主義が最高潮を迎えたギリシアや、共和制の理想としてのカエサルの帝政は、間違いなく哲人政治であった。高度に進化した民主主義は独裁と区別がつかないのだ。なにがあっても、国の意思を完全に実現する力を持っている。

逆に、これまでの歴史を刻んだ共産主義を標榜した国々のやり方を見ていると、暴力から、収容所、密告などありとあらゆる方法で国の意思を完全に実現する力を持ってきた。

つまりは、民意を最高に実現するという政治も、民意を全く無視してもよいという政治は、結果的には一緒なのではないだろうか?

@ 二次曲線

水にたとえれば、0度で凍ってしまっても水ではないし、100度で蒸発してしまっても水ではない。図では単純化して、真ん中で1をとるxが0から1までの二次曲線を描いたが、xの値がどこで大きな値になるかはわからない。ただ、中庸は0から1の間のどこかにあると信じたい。そして、中庸の徳を社会で実現できない我々は、常に0から1の間でのたうちまわって生きていくことが幸せなのだと思う。