HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

30年間も栗本薫にだまされていた

なにを隠そうJUNE創刊から立ち読みしていた私は、自信をもって昨晩ぶくまをつけた。

ブックマークを削除する コメントを編集する 栗本氏が書き始めた頃、すでに「JUNE」は独自の地位を築いていた。それをごく普通の高校生、大学生が読んだり、書いたりするレベルにしたことが功績。初期の「風と木」あたりをみよ。

はてなブックマーク - JUNEが死んだ日 (となりの801ちゃん)

朝起きたら、IDコールを受けていた。

栗本薫中島梓は旧JUNE創刊から関わっています

そんなわけはなかろう。創刊後1、2年は立ち読みしていた私は栗本薫が道場とか始めたころが記憶にない。創刊から巻が重なって栗本薫から参加したはずだと思った。

ところがだ。

栗本薫がジュスティーヌ・セリエ名義で「薔薇十字館」(スゴイタイトルだ(^^;))という耽美小説を発表。

JUN創刊号はこんな雑誌だった

まずは、id:lisagasuさんにお詫びしたい。このエントリーを描き終わり次第、ぶくまも修正する。すみませんでした。

やはり、78年のデビューから80年代にかけての栗本薫は質としても、量としても輝いていた。「絃の聖域」という推理小説のあとがきで、「この小説をかけたのは、幼少のころから三弦を習っていたからではなく、自分がプロの物書きとしての技芸を知ったからだ」という旨のことを書いていらした。当時、非常に納得したものだ。間違いなく彼女は物書きの技芸を体現していた。

絃の聖域

絃の聖域