長い長い時間をかけて、それこそ「never ending」なんじゃないかと思うくらい時間をかけて、「はてしない物語」を読んでいる*1
- 作者: ミヒャエル・エンデ,上田真而子,佐藤真理子,Michael Ende
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1982/06/07
- メディア: 単行本
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- 作者: Michael Ende,Ralph Manheim
- 出版社/メーカー: Puffin
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読むのに長い長い時間がかかっているのは、それくらい「なんか平凡だな、こんなに凡庸な物語だっけ?」という感想をぬぐえなかったから。学生の時代に読んだ時は、ぐいぐい物語の世界にはいっていけた。あんなにバスチアンの「思い出」が「願いの実現」に変わっていくことに興奮したのに*2。
この「元帝王たちの都」("The City of the Old Emperors")まで来て、ああ、この物語はまさに現代のことを語っているのだなと、この前から「千と千尋」と引き比べたり、「ほしいものはなにもない」とうそぶいた方を思いながら想像していたことなのだなと合点がいった。筆力がないし、体力が少々落ちているので、人さまのブログから引用させていただく。
アーガックスは続けて言う。
「あんたが望むことができるのは、あんたの世界(人間界)を思い出せる間だけ。ここの連中は、記憶をすっかりなくしちまった。過去がなくなったものには、未来もない。」
「帰り道がわからなくなると、だれでも遅かれ早かれ帝王になりたがるんだな。・・・略・・・ここには二種類のあほうがいる」
「まず一つは、記憶を次々となくしていって、すっかりなくしちまったあほうだ。最後の記憶がなくなると、そいつらの望みをかなえてやるアウリンも、もうなにもできなくなる。・・・略・・・もう一つの自分を帝王にしちまったあほうは、帝王になったとたんに残っていた記憶が全部消えちまうのさ。だからアウリンは、やっぱりそいつらの望みをかなえてやることができなくなる。そうだろう?なにも望まないんだから。どっちにしても、結果は同じ・・・」
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ちなみにアーガックスはなかなか愉快なお猿さんで、元帝王たちの都のことをすっかり分かっている。また、この直前バスチアンは帝王になろうとした寸前でアトレイユに命をかけて止められた。
元帝王たちの都では、扉が屋根についていたり、どこにもいかない階段があったりと、実にモダンアートな世界になっている。ある意味で、現代的な消費社会の行きつくところではないだろうか?
というか、「元帝王」たちは記憶もなく、過去もなく、思い入れもなく、未来への判断もできない、いわば扁桃核の壊れたネコ状態なわけだ。思いつくままにつけられた扉や、階段も、いまの社会で相対物を探そうと思えば、いくらでもでてくるのではないだろうか。
バスチアンがこの都を離れたあとの物語の展開も深読みをしようとすれば、社会主義国家の顛末と比較できる。いずれにせよ、ここまで来たら命の根源にまで一旦たどりつかないと再生できないとこの「はてしない物語」は結論づけているように思われる。
それにしても、感謝しなければならないのは、私がものかきではないことだ。文章が下手なことだ。リアルの私をよく知っている友人がこのブログを「意味ないことをやっていることが大事」と言ってくれたが、ほんとうにその通り。この「元帝王」たちの多くは、ものかきだったらしい。ものかきのなれのはては、アルファベットが入ったさいころを振って、際限なく文字の連なりを作っていくだけなのだという。
ブログ界隈も「元帝王たちの都」と化することがないことを祈るばかりではある。