HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

言い伝えとしての古事記

偽書説がどうにもこうにも気になりながら、梅原猛の「フルコトフミ」を読んだ。梅原自身が脚本を書かいた「スーパー歌舞伎 ヤマトタケル」を以前見ていたので、すっと入って来た。

古事記 (学研M文庫)

古事記 (学研M文庫)

倭建命と倭比売命のくだりは、「スーパーカブキ」を思い出してしまった。

「礼を言えば楽を言った聖人の智」 - HPO:機密日誌

私は歴史も文学もわからないが、古事記は昔から親しむ機会があったと思い込んできた。考えてみれば小学生のころから大好きだった手塚治虫の「火の鳥」シリーズも滅びては復活する、永遠の命の象徴である火の鳥を通して、日本の歴史を過去と未来にわたって模索する物語であったのかもしれないと今にして思う。

火の鳥(1) (手塚治虫漫画全集 (201))

火の鳥(1) (手塚治虫漫画全集 (201))

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確かに古事記には多くの部族の神話の集合という正確があるように思われる。先日、ある方から古事記の系図をまとめられた表をいただいた。血筋の系列と日本に存在する諸処の神社の系列が関連付けられていた。少なくとも千年を過ぎた書に書かれている系図と現代に残る祭祀が結び付けうる国に生きていることに私は深い感謝を覚える。

それにしても、時にユーモラスに、時に男女の激しい情熱を、そして諸部族の集散を永い永い歴史として語る古事記は、いくたの日本列島に生きた人々の口伝の集積がここにあるということが、日本が国として存在していることの証ではないだろうか。

最近外国から来て日本の国籍を取得された方の方が日本の文化への造詣が深かったり、日本的な心情を深く実行されている場面に出くわす。「火の鳥」ではないのだが、日本は生成と、消滅を繰り返しながら、それでも再生していく永い永い物語であるように思えてならない。

そういえば、C・W・ニコルさんが書いた「国生み」の最後は「遠い、遠い昔、自分たちの国がこうやってできたのだと信じている人たちがいた」で終わっていた。ニコルさんも95年に日本国籍取得か。