HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

from dusk till dawn

「...といってもあの有名ブロガーの話じゃない」

そいつは、話し始めた。

「英語の教師として、彼女は赴任して来た。大学院で英文学、特にシェークスピアの芝居を研究してたんだそうだ、シェークスピアだぜ。もっと研究していたかったらしいんだが、いろいろ事情で教師になったんだそうだ。とにかく俺は彼女の授業が大好きだった。教科書とはまったく関係ない話をいっぱいしてくれた。nursery rhymeポーの一族の中で普通に使われてパロディーになったとか、ビートルズの詞がちゃんと韻を踏んでいるとか、そう、SFが好きでブラッドベリとかヴォークトについても話してくれたな。あの頃、俺は英文法などよくわからなかったが、とにかく楽しかった。そう、とてもあこがれていた。あとで彼女が院生のときにコーデリアを演じたという『リア王』を自分でやってしまったくらいだ。」

こいつがこんなに熱心に自分の思い出話をすることはすくない。私は水割りを飲みながらだまって聞いていた。

「短い期間だったが卒業するまでに英語がすっかり得意科目になった。高校にはいってからは、彼女も転勤して別な街へ越して行ったと聞いた。今みたいにメールもなし、携帯もなし、連絡もとれなかった。でもな、あえたんだ、これが。」

彼はうれしそうに笑った。

「大学の二次試験の直前だった。彼女が街にもどっていることを聞いて訪ねて行ったんだよ。彼女はもう結婚していて、遠くへ越してしまったのだそうだ。たまたま里帰りだったんだな。職場の待遇が格差があって苦労した話、生まれたばかりの娘の話、ごくごく身近な話をした。あれだけ読んでいた本も子育ての間は一冊も読んでいないのだと嘆いてたよ。それでも、『男は朝、日が出てから日が暮れるまで仕事をしていればいいでしょ。でも、女の仕事は終わりがないのよ』といって昔の英語の格言を教えてくれた。そしたら、それがそのまま出たんだよ、二次試験に!」

目をきらきらさせながら、話し続けた。よほどうれしかったのだろう。

「それで、どうたんだ?もう結婚して、子どももいる年上の女性なんてどうしようもないだろう?」

「お前はまったくわかったないな。そんなんじゃないんだよ。昔、あこがれてた人に、偶然にも会えて、これからの人生の方向を変えたかもしれないヒントをくれたんだ。それでいいじゃないか。」

「そんなもんかね。しかし、めずらしいな、お前がそんな思い出話をするなんて。」

「いや、前に一回だけ話をしたことがある。その時つきあっていたガールフレンドに話した。星をみながら、あまりに気分がよかったから、この話をした。そしたら、突然泣き出した。年上の女性にあこがれつづけてるなんて、アンフェアだってね。ぜんぜん女なんてわかんないなとその時思ったよ。もうその時ですら十分に過去の話だったし、それから一回も会ってもいないんだぜ。」

「いや、わかってないのはお前だよ。」

にやにやしながら、私は水割りを飲み干した。