HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

お金は焼けて滅びても人は滅びない

なぜ河井継之助が改革の手始めとして藩札を焼いたのかずっと不思議だった。

昨日国債について調べてみて国債の多くは金融機関や郵貯、かんぽなどが持っていると知った。要はお金と借金とは両建てなのだ。借金が消えればお金も消える。*1

山田方谷河井継之助は逆転の発想でお金を燃やすことで信頼を買ったのだ。結果として、両藩の不如意、借金は消えた。

藩札を燃やしても長岡藩の家も田んぼも城もその価値を少しも減らさなかった。むしろそこから莫大な勝機を産んだのは、「峠」に詳しい。日本の国債がデフォルトしても日本の文化、文明は少しも価値を減らさないだろう。

峠 (上巻) (新潮文庫)

峠 (上巻) (新潮文庫)

現代の日本人に国債を燃やし切るだけの気概はあるのだろうか?


■うっひゃー!

ほんとうに燃やす人がいたんだね。メッセージは違うのかもしれないけど。

via

*1:改めて、考えてみるまでもなくお金の実態は「お約束」にすぎない。宗教社会学井門先生が退官の授業でお札をとりだして「これはなんですか?ただの紙じゃないですか?」とみんなに質問されたのを思い出した。「お金教」というのも、たたりを恐れる宗教なのだろう。