HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

初恋

新緑の中をバイクで飛ばしていた。まるで緑のトンネルのように生える木々が、ぼくをつつみこみ、そして後ろへとびさっていく感覚を楽しんでいた。消失点からあらわれ、背後へ消えていく緑がここちよかった。春の日差しの中、なにもかもが新鮮に見えた。スピードをあげて並木道をぬけながら、彼女と出合った季節を思い出した。突然、彼女の思い出がいまでは硬いダイヤモンドのように、ぼくの中で結晶していることに気づいた。それは、否定することも、変えることも、捨て去ることもできない、ぼくという存在の核としてそこにあった。

彼女はぼくの神話だった。

彼女にぼくは最初になんと声をかけたのだろうか?

そう、あれは新緑の頃だった。窓からは誘いかけるように緑の葉と太陽がかがやいていた。ぼくらは高校生で、内側からわきでてくるエネルギーを消化することも、発散することもできずに爆発しそうになっていた。かといって、自分の抱えているエネルギーをどう表現したらいいのか、自分のことで手一杯になっている、実に不器用で幼稚で鈍感な高校生だった。自分ではいっぱしの大人のつもりでも、世の中というものがどのような仕組みで動いているか知らず、人がどれだけ苦しみやら悲しみに耐えているか感じることもできずにいた。世の中が自分の信じている数学や英文法のような論理とはまったく違う理屈と打算で動いていることすら知らずにいた。

あのころ、ぼくは破裂寸前の風船のようだった。

そんな高校三年生の春、図書館で同級生と群れて受験勉強するのを嫌ったぼくは、美術にすすむことにした友人のいる美術室でよく勉強をしていた。英文の長文読解や、世界史など、退屈だがこなさねればならない勉強をそこでしていた。彼女が扉をあけて入ってきたその時、ぼくの頭から英単語もアレクサンダー大王も消え去った。美術室に並んだ石膏像のようにすきとおった白い女学生だった。そのわがままな強い意志を秘めた、でもすすずやかな目、すんなりとのびた黒髪、スケッチブックを抱えてまっすぐに歩く姿。彼女は参考書から目をあげたぼくに気づかないかのように、石膏像の前にすわり木炭でデッサンをはじめた。

美術室での会話はいまではあまりにもぼやけてしまって思い出せない。ぼくと友人と彼女と三人でなにか会話をしたということだけは覚えている。美術の話でもしていたのだろうか。ぼくはきっと彼女を自分の網膜にきざむこむので精一杯だったのだろう。ただ、スケッチブックと、木炭とパンくずがちらかっていた。

彼女がまだ1年生で、遠いところから来たということを知ったのはずいぶんたってからだ。ぼくは受験勉強に真剣に取り組まなければ進学はおぼつかない状況だったし、目先の生徒会やら文化祭の準備やら、考えなければならないこと、こなさなければならないことが山積みされ多忙をきわめていたはずなのに、ぼくは学生の人ごみの中で彼女をみつけることだけはうまくなっていった。明日の行く道さえ決めかねている高校生の群れの中で彼女はひとり超然としているように見えた。その意思が髪をなおすしぐさから、彼女の目のふせかたにまで満ちていた。彼女の歩き方、カバンをもつ手の組み方、いつも少し迷惑げに人を見る目、ひと月の間に覚えた世界史の年号の数より、公式の数より、化学式の数より、英文読解のページ数より、彼女について発見したことがらの方が多かった。

彼女とぼくを近づけたのは、芝居だった。秋の文化祭に向けて準備がはじまった芝居で、ぼくは年老いた王で、彼女はその末の娘だった。緑はすっかり深く濃くなっていた。柏の厚い葉が、練習場から食堂までの行き帰りの道の上にトンネルのように差し掛かっていた。制服のときとは、違う私服の彼女を目の端にとらえながら、台本の読み合わせをしていた。彼女にひき寄せられながらも、それ以上近づくこともできずにいた。ほんとうに暑い夏だった。

受験勉強も大して手につかないまま夏休みがおわり、仕上げた芝居を9月の文化祭で公演した。彼女の誠実さを疑い、追放する父。手を組んで、前をじっと見つめながら、自分の無実を訴える彼女を美しいと思った。舞台の上で、彼女と正面から向き合った。自分のおろかさのゆえに、一番自分を愛していた娘を失ってしまった父、次第に正気を失っていく父王。舞台の上で、誠実さのゆえに死んでしまった彼女を抱かかえながら叫んだ、「いかづちよ、嵐よ、わが身を滅ぼしてしまえ!」

ある種の出会いは、表面的にはごく日常的にみえることでも、異常に強い思いを生みすっかりその人の人生を変えてしまうことがある。それがどれだけひとりよがりで、わがままな思いであったとしてもだ。ぼくは彼女との出会いにより生まれた思いを通して人生を発見した。

秋になってから、キャンパスの中でなんども彼女と会った。校則の厳しい高校だったのに、よくそんなことができたものだといまになってみると思うのだが、ぼくは夢中だった。枯れ葉が舞う芝生に面したベンチでひたすらぼくが話していた。いま向かおうとしているもの、本、哲学、心理学、そしてよく多感な少年時代のおわりにかかる病気のような思想。あのとき彼女はなにを考えていたのだろう。覚えているのは、彼女のすずやかな目だけだ。よくキャンパスの中を散歩もした。彼女にふれることもなく、手をつなぐこともなく、しゃべりながらただただ歩いた。もう秋もふかまるころ、図書館の裏を歩いていて雨が降ってきたことがあった。冬の訪れをつげるような冷たい雨だった。雨をみながら会話がとだえ、あまだれをみあげている彼女の横顔をみていた。そして、彼女にキスをした...彼女の額に。

所定の単位をとり、部活動の追い出しをうけ、1日のほとんどを受験勉強についやし、いくつかの大学入学試験をうけ、気がついたらほかの高校より少し早い卒業式だった。桜並木は、旗や記念の品をもった在校生でうまり、部活動の先輩後輩やら、寮のつながりだの、だれもが別れを惜しんでいた。しかし、その日、ぼくが会いたかったのは、彼女一人だけだった。人ごみの中どうにかして、会うことのできた彼女はぼくにカセットテープをくれた。チョコレートケーキは、失敗してしまったのと、嘆いていた。

あとで一人になって開いたカセットは、「シカゴ」のアルバムだった。ものがなしいような、高いヴォーカルの声、フォーンセクションのきいた、モダンなのだけれどなつかしい感じのする曲。カセットテープにはメッセージがついていた。「前をむいて歩いていってね、あなたらしく、後ろをふりかえらずに」と書いてあった。

学校を卒業してから、彼女にあえたのは一度、いや三度だ。受験もおわり、希望の大学の入学がきまった春休みに、約束していたデートをした。彼女が家に帰省する時にあった。昔のドイツの映画の「メトロポリス」を見た。なんで初めてのデートで「メトロポリス」を見るのがどれくらい非常識かわからないくらいぼくはこんこんちきだった。それから、ただただお堀端を歩いた。レストランで食事をして、ドイツのワインをのんだ。ぼくとしては精一杯の背伸びだった。彼女をホテルの部屋におくりとどけ、一人で帰った。

なぜあのとき彼女をだきしめられなかったのだろう。

もうほとんど語るべきことはない。ひとりよがりの恋いがひとりよがりのうちに終わっていくよくあるパターン。

学校がかわり、会うこともできず、携帯なんてない時代のことで、電話もあまりつながらなくなった。たまに電話で話せても、ただ「会いたい」としか言えなった。なぜ彼女をもっと理解しようとしなかったのか。校則の厳しい学校の体制を考えれば、きっともっとぼくが行動すべきだった。会いたいという気持ちだけがからまわりし、まだなれない酒でぐてんぐてんになって電話してしまったぼくに彼女はいった。

「どうすればいいのか教えてあげようか。この電話を切ればいいのよ。」

*1

■追記

そうだったのか...

つーか、いまになってみると、よくわかる現実。はぁ、夢も希望もないですなぁ。

■追記 その2

なんかトラバもらったんすけど、理由がよくわからない。

*1:いやぁ、あらためて私は文才ないなぁ...