HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

結婚と浮気の形が政治の形を決める

■昨日の続き

昨日書いたことが自分の中で展開できずにいた。

これから社会が安定性への志向を増し戦闘を忌避する方向に向く一方、社会制度的には経済活動を含めて非常に多様性が進むと仮定すれば、肉体的な多様性が生存への有利不利を決定しずらくなるのであれば一夫一婦制が維持強化され、精神的な面では伝播スピードが高いミーム的な面としては乱婚化するはずだ、と。

社会制度と生物としての人間の多様性 - HPO:機密日誌

自分で書いといて言うのもなんだけど「ミームの伝播」(社会的遺伝子)って結局政治思想のことをいうのかな、と。

ファッションから、言葉から、食糧の生産方式までさまざまな技術や行動様式がミームと呼べることは間違いない。しかし、集団と集団との間で対立を生むようなミームがあるとすれば、それは政治思想ではないだろうか?ミームを異にする集団間での最大の対立って政治的主張として結実するといってもいいのかもしれない。人の中国の四書五経がそうであるように、ギリシアの諸思想の志向した先がそうであるように、ミームの中のミームたるものは政治的信念ではなかろうか?

そもそも、生物としての「生存」を賭けた争いって古代ローマの成立、いやエジプト古王国あたりからこっちで本当にあったのだろうか?ま、それはともかく、人が生物としてどのように繁殖するかという形と、社会集団内でミームがどう繁殖していくかという形は、平行ではなかろうか?というのが漠然と感じていることだ。

■言葉の整理

ここで、「結婚」とは生物的な遺伝子を「夫」と「妻(婦)」とで、子どもを産む、もしくは思想を伝播することになる。

生物的な「結婚」はあきるほど例がまわりにあるので、例をあげない。

ミーム的な「結婚」は、ミーム的な「一夫多妻」を先に考えた方が早い。大雑把にすぎるのだが、一神教独裁制、王政などのように一人(ひとつ)の頂点の人物と信者、臣民、家来などがつながる形を「一夫多妻」制とする*1

この逆の形を「一夫一婦」制とする。つまり、一対一あるいは一対nの対話により社会思想が形成されるいわば「乱婚」を前提とした結婚を「一夫一婦」制とは言えまいか?民主主義的な社会思想の伝播の仕方だといってもよい。当然、後で考察するようにモテ、非モテが「乱婚」の結果として生まれるので、「一夫一婦」制から「一夫多妻」制が生まれる危険性を含むといってもよい。

生物的な「うわき」は、これまた現代日本において例にことかかない。ミーム的な「うわき」とは、「一夫多妻」制の場合、その宗教なり、政治的な思想から「転向」することを意味する。生物的な定義と逆転してしまうのだが、ミーム的「一夫一婦」制とはその定義からそもそも「うわき」を最初から許してしまうこととなる。

うーん、どうも言葉の定義から自分の思考が破たんしているなぁ。

ユダヤ人社会という「一夫多妻」制

ミーム的一夫多妻制が信仰、思想と社会制度と最も強く結び付いてるのはユダヤ人社会ではなかろうか?バビロンの捕囚、モーゼの出エジプト、あるいはディアスポラにしろ、社会的変化に最もさらされた民族であるということは、「多様性が不利な場合は一夫多妻」という弾さんの思考と一致するのではないだろうか?

逆にいえば、社会的「一夫多妻」制を守るために、絶対に「うわき」(多様性)を許さないことがとても重要だ。この意味で、社会的、生物的な遺伝子を守ることがとても重要なことになるのだろう。つまりは、palさんの「遺伝的殺人」をさせないという考えからも、母親がユダヤ人でなければ子はユダヤ人となれないというきまりは理にかなっているように思われる*2

一方で、さまざまな環境に生きざるを得ない環境からはニッチを確立したとは言い難く、生物的な多様性を確保するためには「一夫一婦」制を守る必要があったのではないだろうか。


[「日本教」モデルをネットワーク分析するより]

■米国という「乱婚」社会

逆に現代の民主主義社会の華たる米国社会は思想的多様性自体を自らのうちに取り込んでいるミーム的「乱婚」社会であると言っていいだろう。社会的にはきわめて強大なニッチに立っているため、多様性があることが逆に社会としての生存可能性を高める。


[「日本教」モデルをネットワーク分析するより]

世界最強の国家だるという強大なニッチに立っている限り生物的な多様性も歓迎されるべきであり、「一夫一婦」制で子どもを繁殖することが推奨される。

ここで気づくのは、複雑ネットワーク理論が示唆するように、数限りないミームのリンクの生成という「乱婚」状態が続くと、自然とハブが形成されるということだ。だから、スターが生まれ、億万長者がもてはやされる。ハブの中のハブなわけだ。


[ナウシカをネットワーク分析するより]

さっきも書いたようにここに「一夫一婦」制が「一夫多妻」制に移行してしまいかねないという民主主義のあやうさがあるのだが、今回の話とははずれるので特に追及しない。

■みえない「一夫多妻」制、日本

問題は日本の社会だ。見えないもの、というか「無」みたいなものが中心にあるので、わかりにくい。

日本を見る時に、国全体としてみれば米国のような特定のニッチが確立されているとはとても言えない。それでも、世界的にみたら物的環境、社会的環境は安定している方なのだろう。生物的・社会環境的多様性の必要性と政治思想的一神教との相克がこの国をダイナミックに動かしてきたと言ってしまえば、山本七平の文字面だけの模倣にすぎない。

しかし、政治思想的なミームというのは奇妙なくらい安定しているように感じられる。「無」を中心している奇妙な一神教(「一夫多妻」制)の体制であるため、安定しすぎていると言っていいくらい安定している。

日本人全体が抱える危機感、ニッチの確立への希求から「一夫一婦」制の結婚が重んじられるのだろう。「結婚」の制度に多様性の必要性がひしひしと感じられる。他方で、生物的「うわき」に寛容だというのも、見えない一神教的社会構成と、比較的安定した生物・社会的な環境があったからだろうか?どうも、この辺の思考が自分の禁忌に触れてしまいそうでまとまらない。

日本の国としての立ち位置が猫の目のように変化してきたからこそ、異性から選ばれる上で、どのような生物的遺伝特性が「モテ」につながるのか安定しない。いや、ま、「魅力的」な男性像が固定的に確立していたとしたら、きっと今の私はかなりみじめな思いをしていただろけどね(笑)。


[「日本教」モデルをネットワーク分析するより]

■結局なにを言いたいのか自分でわからなくなってしまった

モテとはなにか?非モテとはなにか?

「あなたのこどもを産みたい」、と言われる魅力とはなんなのか?

「結婚」し、「子」をなすためには、「うわき」は絶対に禁じられるべきなのか?

多様性(乱婚)を志向するだけの安定が社会にあるのか?

社会が不安定であるために、なにが最も有利な特性なのかその時その時の「美人」(美男)の「好み」がぶれるのか?

それとも、逆に人の好みがぶれるから、社会も不安定なのか?

そういう個人的な感覚が政治体制を決めるという話をしたかった。しかし、そこまでの結論に持っていけずにここまで来てしまった。

あー、なにが悪かったのだろうか?

やはり、勉強が足りなかったな。ちゃんと勉強してでなおそっと。

書評 - 心と遺伝子 by Danさん

*1:夫と婦は逆転可

*2:夫側がまぬけなユダヤ人であれば、妻がユダヤ人以外の異教徒と「うわき」(遺伝的殺人)をしてしまってもわからない。そんなまぬけなユダヤ人ばかりであれば、ユダヤの血統は簡単に失われてしまう。