HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

アンドロギュヌスに恋愛感情はあるか?

羊頭狗肉な話なのだが、要は「海辺のカフカ」にでてきた話が気になって仕方がない。

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

海辺のカフカ (下) (新潮文庫)

海辺のカフカ (下) (新潮文庫)

とりあえずかなり詳しいサイトを見つけた。

両性具有 - 半陰陽、あるいは第三の性 @ X51.org

ま、ちょっとあやしいが百科事典的に網羅されている。

んで、両性具有ではないけど絶対はずしちゃいけないのが、これ。

半神 (小学館文庫)

半神 (小学館文庫)

半神 from NODA HIDEKI

一番昔から気になっているのは、「人はもともと両性を兼ね備えていた。しかし、驕り高ぶる人間を神が男と女に切り分けた。以来、男と女は原初の姿への憧憬から惹かれあっている」というようなお話。

昨日教えていただいた話からすれば、あるいは↑のサイトによれば、医学的には両性具有者はかなりの確率で存在しているらしい。

しかし、象徴的に男女の愛を説明するには、男女の交わりのエクスタシーの象徴としての両性具有はまことに説得力がある。男女の交わりの果てには、忘我の世界があり、神から与えられる恍惚への入り口が見えるように感じられる。

現実の両性具有者は、たぶん男性器を使っているときは男性の快楽、女性器を使っているときは女性の快楽を得るのだろう。

では、神話的な両性具有者の恍惚とはいかなるものであろうか?あるいは、すでに充足している人間には快楽という感覚する必要がないのであろうか?

野田秀樹の戯曲にその回答があるとは思えないのだが、一度見てみたいなと思う今日この頃ではある。ああ、そうそう、二十歳の誕生日に野田秀樹を見に行ったのは私の人生の中のひとつの分水嶺であったのかもしれない。もうその倍も生きてしまった。