HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

時間、衝突、確率

数学幻視行が面白い。

数学幻視行―誰も見たことのないダイスの7の目

数学幻視行―誰も見たことのないダイスの7の目

リンクだ、べき分布だと言っても、単位時間でどれくらい衝突が発生するかということで全ての現象は説明可能だ。

http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/06/ghost_in_the_sh.html

映画版の攻殻機動隊の音楽がドラムが主体であるのも、私にとってリンクが衝突として存在することの象徴のように思われる。

GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊 [DVD]

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密度と速度を統計的に示せれば、単位時間当たりの衝突の確率が導ける。

熱力学の分野の話で言えば、多数の個体の間で繰り返される衝突はカオスとカオスのぶつかり合いになり、どの時間、どの密度をとるかで統計力学的な法則性がどのように発現するのか記述されるのだという。

問題は、どのレイヤーで衝突を記述しようとするかなのだろう。

http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2006/02/nonequilibrium__705f.html

しかし、熱力学がその具体例であるように、そこには統計的な現象としてしか立ち現れるず、個体個体の個別性や必然性は存在しえない。

それは私の目の前を通り過ぎる人や車と私との邂逅になんの必然性が観察されないのと同じだ。

そうだ。人が轢かれた瞬間を見た。その瞬間の衝突は大きな意味を私に持つ。その意味の持つ力は、砂に風紋ができ、鳥が群れをなして飛び、人の流れで道が形成されるのと等しい。

してみると、衝突の生ずる範囲が大きく、個体の数が無限であれば意味は生じず、範囲が決まっていれば複数の反復される衝突が生じ意味が出て来ると言えまいか?

人が意味を感じるとはそのものと自分の関係性がなんであるかわかることだ。関係性は反復があるから認識される。