HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

生成、巨大化、そして、消滅

亀岡太郎さんが、ドラッカーの言葉を引いたエッセーを書いて、2006年の動向の予測をしていらした。ドラッカーは、「プロセスにおいて成長、変化こそが正常であって、それらのないことが不完全、腐敗、死を意味する」と主張していたそうだ。

私もなんというかネットの内で働いているように見える集中化する力を追い求めているうちに、べき乗則に出会い、生物の生態系内での生成と消滅に興味を持ち始めた。それが、自己組織化や、「複雑系」といわれる考え方と近いということも遅ればせながら知った。

亀岡さんによると今年は、M&Aにより膨れ上がって誕生した巨大企業の負の側面が見えてくるだろうという。これは、生成と消滅において見られるべき乗分布的な観点からいえば至極まっとうなことであろう。先日、ある企業のOBの方とお話する機会があったて、この「失われた10年」といわれる期間において売上を倍増させ豆腐と同じ、「一丁、二丁」と数えられる売上げ高に至ったということだ。よくお話を聞くと、垂直、水平の統合を繰り返した結果らしい。実は、この企業は流通系の企業なのだが、金融機関はいうまでもなく、IT系の企業までM&Aの嵐が吹いているように思われる。

しかし、こうした巨大化し、安定したようにみえる組織においては、逆に、最近、構成員の方の下世話な話しから、基幹的なシステム上のミス、天災地変の影響に至るまで、さまざまなスキャンダル、危機にまみれているように思われる。ここにおいて、ドラッカーの言う「それらのないこと*1」という状態を目指すがゆえに不安定性、致命的な臨界雪崩現象を起こしているように解釈することは見当はずれなことなのだろうか?

*1:平成27年2月10日追記 記憶が定かでないのだが、確か真摯さの定義として、必要悪的な風土、習慣、志向がないこととどこかでドラッカーが言っていたことを指していたのではないだろうか。