HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

貧困は日本ではありふれたことだった

1960年代生まれの私は、「戦争を知らない子供たち」に更におくれてきた世代。戦争が終わった二十年弱しか経っていなかったのに、私の育った風景の中ではあまり戦争の名残は見られなかった。唯一の名残りは、地元の観光地の傷痍軍人達だった。軍装もどきの白い服と兵隊帽。手足を失い、物乞いに落ちた傷痍軍人の姿は戦争の激しさを私に教えた。あるものは不自由な手でアコーディオンを弾き、あるものは手も使わずにハモニカを吹き、あるものははいざりであることを示し、一日座っていた。

直接な体験としては少なかったが、貧困の絶対線がどこかに引かれている気がしていた。貧困から生涯ぬけだせない人達の存在だ。基本的な学識もなく、人によっては文字すら読めず、物乞い、日雇いで暮らす。「宵越しの金はもたない」と言えば威勢はいいが、工事・工場労働者の飯場は薄汚かった。この人達は、一生ここから出て行けないか、同様の飯場で生きていくしかないのだなという認識は、子供でもあった。飯場では荒っぽい喧嘩もあったようだ。

そうそう、一方で旦那衆はいた。自分の土地だけで自宅から駅まで歩けると噂された人々はいた。長い目でみれば栄枯盛衰があることを、小さな街なので後には知ったが、当時は絶対的な富裕層というのもまたいるものだと想っていた。私の家はどちらかといえば、貧乏な方だと想っていた。

それやこれやも、オンリー・イエスタデ。ついこの間までの日本の姿。そこから現代の豊かさを考えると、今時の貧困議論や、労働時間の問題にはいろいろ言いたくなる。

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現代社会において大卒でコンビニでアルバイトしか仕事がないと。職業訓練が失われた世代がいることは大変不幸なことだと私も想う。

クルーグマンが不況がよくないというのは、基本的には仕事を失う教師がでることや、職業訓練や、必要十分な教育を受けられなくなる世代が生じるからだと言う。決して、国ありきの発想ではない。彼が非難するのは、中途半端な金融政策、政府支出の政策によって、不況対策が十分とれなくなることだ。

「リベラル」とは「小さきもの、弱きものへの慈悲」か? - HPO機密日誌

しかし、自分で自分の主人となる、自由人となるだけの基本的な教育を受けているなら、起業でも、多少無理な仕事でも、やり方はいくらでもあるように私には想える。

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そして、いま話題の「降格する貧困」。

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フランス人の学者がいうと更に恐ろしい事実を思い起こす。

「10万年の経済史」に「イギリス人の言語を分析していくと、下町や田舎のイギリス人でもみな上流階級の子孫であることが証明されている」ということが書いてあった。

10万年の世界経済史 上

10万年の世界経済史 上

なんでも、イギリスは上流階級になればなるほど出生率が高かったのだという。そして、その次男、三男が没落して、19世紀の産業革命前夜の下層階級となっただという。 そんなこともあるのかな、「ピグマリオン」、「マイフェア・レディー」の国だなとふふふと読んでいた。ふと、これってイギリス人の昔の下層階級は死に絶えてしまったということを意味すると気づいて愕然とした。

イギリス人はみんな上流階級の子孫 - HPO機密日誌

日本では絶対的な貧困層は存在しても、死に絶えることはあまりなかったように想える。ムラの景色の中で、なんとか居場所はあった。西欧の歴史では、貧困に陥るとは絶滅するということなのだ。植民地を世界中に広げた征服民であるヨーロッパ人の感覚は日本とは全く違う。

自分が死に絶えたくなかったら、権利を主張する間にさっさと働けと私は言いたい。ゲームをするひまがあるなら、第二、第三の仕事でもしろと。子供を作りたくないならかまわない。教育の平等が与えられているのなら、貧困層でも子供を産み、育てることはできる。成功していても、失敗のどんぞこにいても、私は私の子供を産み、育て、教育し、また子孫が残るようにせしめるだけ。それが私に与えられた使命だと信じている。

最後にうちの祖母の言葉を紹介して本エントリーを閉じたい。「我が家は、日本の国の大きな変動があったからこそ生き残ってこれた」と。祖母は、明治大正昭和平成の四代の御代を生き抜いた。私にとってとても言葉に重みがある。