HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

取り消された世界遺産

ドレスデンの話題は尽きない。プラハへの移動の途中、世界文化遺産登録抹消の原因となった橋を見学した。

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エルベ渓谷のあるドレスデンザクセン州の州都で、市内を貫く渓谷はエルベ川流域に18km続いている。ザクセン選帝侯国の首都であった時代は「ドイツのフィレンツェ」と呼ばれたほど美しい都市であり、18~19世紀の建造物などが今も残っている。19世紀末の鉄橋、ケーブルカー、蒸気観光船、造船所などは今も使用されており、教会や公園も時代を偲ばせる。都市に溶け込んだ渓谷などの自然、産業革命以降の産業遺産、建造物などの価値が評価され、2004年に世界遺産(文化遺産)に登録された。

しかし、エルベ渓谷にかかる橋の建設が計画され、実行されると景観が損なわれると判断したユネスコ世界遺産委員会は、2006年に危機遺産リストに登録した。そして、橋の建設が始まったため、2009年に世界遺産リストから削除された。

世界遺産抹消の原因、ドイツ・エルベ渓谷の「景観損ねる橋」開通

実際には相当に市民と州政府、ドレスデン市との間で議論があったらしい。

ドレスデンエルベ渓谷は2004年に世界遺産リストに登録されたが、渓谷には以前よりドレスデン市街の渋滞緩和を目的とした架橋計画(全長635m、4車線のヴァルトシュレスヒェン橋(英語版))が存在しており、すでに10年にわたる議論が続いていた[4]。この橋の建設計画はドイツ政府が提出した登録申請書にも明記されていた[5]。


橋の建設計画は2004年2月にようやく確定したが、6月(世界遺産登録の前月)に行われた市議会選挙の結果、議会の勢力が変化し(de)、建設反対派が議会の多数を占める情勢になった。この結果、橋の建設を求める住民グループが住民投票を求める活動を開始し、2005年2月に、橋の建設の是非を問う住民投票が実施された。住民投票の結果、建設賛成票が67.9%に達したため、計画が実行に移されることとなった。

ドレスデン・エルベ渓谷 - Wikipedia

その場に立ってみて、改めてドレスデン、エルベ河流域の風情にマッチしていると感じた。決して景観をこわしてはいない。どうもユネスコ側の政治的な意思を感じる。「登録、抹消は私達の権限なんだから逆らうんじゃない!」との。そもそも、登録抹消は09年、橋の完成は12年。完成を待って、実態を見てからでも遅くはなかった。

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この後、バスタイの奇岩を見学した。

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ここは昔の要塞であったらしい。もっとも、「戦争を余りしなかったことで栄えた」と言われるザクセン侯、ヴェッテン家なので、ほとんど使われなかったらしい。

バスタイの東側はもうチェコ

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プラハにはいささか思い入れがある。楽しみだ。