HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

少子高齢社会における「常識」、「人権」とは?

この記事には驚きを覚えた。

maga9.jp

記事を書かれた雨宮氏は貧困問題の専門家らしい。

雨宮 処凛(あまみや かりん、1975年1月27日 - )は、作家、政治活動家。当初は「ミニスカ右翼」と呼ばれた[1]右翼活動家だったが、後に「ゴスロリ作家」を称する[2]左派系論者に転向した[3]。

雨宮処凛 - Wikipedia

一応、原典は買って読んだ。

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https://www.amazon.co.jp/dp/B07H5VXG81/

雨宮氏のエントリーを拝読する限り、植松被告の主張を論破できているとは思えなかった。いや、いまの国の借金が1000兆円を上回っている時代で、高福祉社会をいつまで維持できるのか不安に思わない人はいないだろう。植松被告をインタビューした篠田氏、井上英夫教授は「転向」、「改悛」させたい気持ちで植松被告と会ったのではないだろうか?しかし、このインタビューのやりとりを見る限り真っ向から反論できていない。

長寿社会が定着していく中で、「常識」、「人権」とはどこまでの適用範囲を持つのか、どうあるべきなのか、それこそ「維持可能(sustainabel)」であるのか、よくよく検証する必要があることを植松被告の事件は私達に投げかけているのではないだろうか?

matome.naver.jp

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梅郷

なかなかまわれない名門コースで回らせていただいた。感謝!

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随所にプロのトーナメント開催の「跡」を感じた。もちろんレギュラーティーからなので、難易度は比べ物にはならないがなんとはなしに気分はもりあがった。ちなみに、練習場がめちゃ充実している。課題であるアプローチが練習し放題。もし、次まわる機会があればぜひ堪能したい。

ゴルフをご一緒させていただくと、なかなか日常ではできない会話が飛び出してくる。真剣なプレーはとても大切だと痛感した。

街への想いのプレゼンテーション

「公私混同」の話を書いた。ブログ・ウェブ界隈との「公私混同」、「相転移」により確実に自分で変わったと思うのはプレゼンテーション能力。

hpo.hatenablog.com

昔は人に話をするのに、「私はこれを調べた、これを考えた、これを調べた、こうまとめた、こう行動した」と全て主語が「私」だった。まあ、こんなブログをまだ続けているくらいだから「私」から少しも抜け出てはいないのだが、最近話をする時は、話の聴衆な方々がなにを期待しているか、なにを聴きたいと思っているかに意識を集中するようになったと感じる。

そして、その方が「これはウェブ界隈の話題だから、これはこの人達の関心と違うから」と遠慮せずに話ができるようになったように思う。かと言って、人に媚びる話をしているわけでは決してない。今日もプレゼンテーションが二件あったのだが、割と高評価であったと後から聞いた。とにかく全力で準備して、いらないところはバシバシ削り、あとは何度かシミュレーション、練習を重ねて、現場に向かう。プレゼンで、やってしまいがちなのが準備した「ネタ」を自分で先に「ネタバレ」してしまうことだ。話題の流れを聴いてくださる人々の身になって準備することが肝要なのではないだろうか。

あとは、本当に自分が想いを寄せているテーマへの愛情を深めるだけ。聴衆の方々、テーマへの愛があれば、「自分」、「私」なんて勘定に入ってこない。

開高健の墓

北鎌倉の円覚寺さんを訪ねて、たまたま開高健の墓を見つけた。奥さんとお嬢さんの名前と共に墓誌に刻まれていた。どなたが供えたのか、トリスの瓶があった。

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残念ながら、墓そのものは撮影禁止となっていたので、墓のあたりの風景。

taknakayama.hatenablog.com

大学生の頃、なにか自分の中で危機感があり開高健をむさぼり読んだ。開高健は「闇」シリーズまで走り続けた。そして、なにもかも失い、ただ釣りに走ったのだと。恋人も、家庭も捨てて。

開高 健(かいこう たけし、かいこう けん[1]、1930年12月30日 - 1989年12月9日)は、日本の小説家。

開高健 - Wikipedia

私は開高健の没年齢を超えて生きていけるだろうか?走り続けていくのだろうか?

そういえば、以前「夏の闇」の「女」のモデルがいるという話しを読んだ。

「輝ける闇」のヒロインは素娥(トーガ)というベトナム女性。秋元啓一カメラマン(註2)が写していた、その素娥の写真を朝日新聞写真部で細川は見たというのだ。
〈素娥は白っぽいアオザイを着て毅然とした様子で立っている。均整のとれたしなやかな肢体。口元にうかんだかすかな微笑。つぶらな瞳。〉と細川は記述する。

自由人の系譜 開高健(3)「夏の闇」 : 同伴者の本棚

中年男は女がいなければ生きていけない。家庭的には不幸であったという開高健は帰国後、なにを女に求めていたのか?

公と私の混同

随分昔にブロガー(死語?)な方々との交流の中で「公私混同上等」という話をした記憶がある。確か、その時は「仕事に対して『全人格、全能力をもって臨むというのなら、もはや『公』も『私』もない」というような話しだったと記憶する。前提として、十数年前なので、現在のような「ブラック」というより自ら全力で仕事に臨むのが「美」なのだという風潮があった頃の話だと思って聞いてほしい。

ブログを書くことがポピュラーになり、様々な地位、立場の人が「今日食べたラーメンが美味しかった」など、「私的」な事柄を書き出した時期だった。これまで「◯◯社の◯◯さん」は、「公」の立場として個人的な事柄は余程の成功者でもない限りオープンにはされることはなかった。私もそれなりの立場にはあったが、その立場ではなくあくまで公的な立場はオープンにせずにブログを書き始めた。

様々な方々との交流をそれ以来経験した。ブログがきっかけであった時代はそれなりに楽しかった。しかし、リアルな事件が起こり、ブログ界隈ですら重要視されたころから、リアルはリアル、ブログはブログ、公は公、私は私と切り分けるようになった。

さらに時代が変わり、いまは「混同」とすら意識されないくらい、ブログ・ウェブ界隈とリアルな公、私が連続している。いわばブログ・ウェブと公私混同との「熱量交換」による「相転移」がほぼ完了しつつあるのだろう。

hpo.hatenablog.com

ホテルIT化の夢

関係者とホテルのIT化が進むと何ができるか話した。より宿泊者の方々の利便性を拡大し、より生産性を高める工夫はいくらでもある。

バックヤード側で言えばホテルのメンテナンス担当者IT端末による清掃作業の指示、進捗管理、チェックなどがある。どの部屋を何時までに清掃するのか?部屋ごとに枕の硬さなどお客様の要望に合わせたセットアップどうするのか?早めにチェックインを希望されるお客様に向けて、メイクが終わり、アドミニストレーターのチェックまで終わったのはどの部屋かのリアルタイム管理などなど。ホテル業は実は時間を売る商売なので、今日の在庫を明日売るない。人手不足で新規に雇用された担当者が多いことなど、ITによるサポートは大きい。

一方、「変なホテル」で先行している顔認識、音声認識は今後普及するだろう。鍵を持たなくとも、文字通り「顔パス」できればロックアウトもなくなる。ホテル側からすれば保健所等から厳正運用を要求されている中、不正な宿泊も減らせられる。アマゾン等はビジネス利用等を否定しているが、スマートスピーカーによる部屋のエアコン、照明管理、あるいは多言語による部屋うちでのコンシェルジュ提供など夢は広がる。音楽、動画配信サービスも著作権の問題があるが、可能になれば顧客満足につながるだろう。有料の衛星からの配信が死滅しつつある中、アマゾンFireTVのホテル用サービスなどでき、なおかつスマートスピーカーとつながれば普及にもプラスになるのでは?

考えてみれば、スマフォを部屋に入れるサービスはもう当たり前になりつつあるので、これにテレビ電話によるホテルスタッフ、コンシェルジュサービスが相乗りできれば、さらに顧客満足は高められるだろう。

スマートロックの提供も日本の法律、条例が足を引っ張っているが、中長期的には逆にセキュリティーを高められる。誰が部屋に出入りしたか全てのログが取れるようになるだろう。ホテルスタッフによるフロントにおけるチェックよりはるかに安全安心だ。

とても楽しみなのだが、なかなか業界全体としては「人にやさしいIT化」が進まないのが残念でならない。

部屋とワイシャツと「私」の暴力

もう何十年も前の話し、高校生の頃、私の高校では軽音楽がかなり盛んだった。実際、かなりメジャーになった同級生もいる。そんな中、一人ピアノの弾き語りをする女子二人組がいた。彼女達が歌った「部屋とワイシャツと私」がとても素敵だった。その時の印象で、この曲はとてもかわいい印象を持っていた。先日、疲れ果てていたせいか、たまたまラジオで流れた「部屋とワイシャツと私」を聞いて、こは女子の側の「暴力」だなと想ってしまった。

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部屋とYシャツと私 平松愛理 歌詞情報 - うたまっぷ 歌詞無料検索

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いや、ま、"Fly Me to The Moon"と同じ女の「暴力」を感じてしまった。

hpo.hatenablog.com

甘い響きで男を惑わせながら、しっかり、「服を買ってね」・「パーティ行かせて」(私の要求をあなたが叶えて当然!)、「毒入りスープ」(裏切ったら許さない!)と自分の主張をしまくっている。これを女の暴力と言わず何であろうか。あるいは、手練手管とでもいおうか。タイトルの「部屋とワイシャツと私」とは、まさに二人の「家庭」の象徴なのだろう。「私はしっかりあなたの部屋も掃除するし、ワイシャツにもアイロンをかけてあげるわ。だから・・・・、分かってるわよね?」というすごみが恐ろしい。

ひさびさになにかツボに入った。精神衛生上あまり良くない状態なのだろうか?