HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「ライト、ついてますか?」

これはとても良書だった。

ライト、ついてますか―問題発見の人間学

ライト、ついてますか―問題発見の人間学

昔むかし、「ライフハック」という考え方がはやった時に、大学生のころだから30年も前に読んだこの本の内容に似ていると想った。

hpo.hatenablog.com

ライト、ついてますか?」とは、あるトンネル管理人が、トンネルの前後での車のライト操作を間違えるドライバーが多いという問題から採られている。「トンネルに入る時はつけて、出たら消す」などととても運転中に確認できないほど複雑な警告にならざるを得なかった。それを(若干途中のロジックは忘れたが)「ライト、つていますか?」の一言に集約した。

qiita.com

方法論としては自身の生活や仕事のスタイルにおいて「気の利いた手段で、もっと快適に、もっと楽して、もっと効率良く」という方法を得ようとしていくことにほかならないが、これをコンピュータやシステムを解析し追求するように体系化していったものがいわゆるLifeHackである。

Lifehack - Wikipedia

この「ライト」とは「Aha!」の瞬間、思いついた時に頭の上につく「ライト」の意味もある。日常やってきたこと、これしかやりようがないと思い込んできたことを変えるひらめきが生活には大事。この意味での「ライト」の思考を現代生活に応用しようという運動が、「ライフハック」だったと私は想っている。

そうそう、ちなみに最近の私の「ライト」なライフハックツールは、Google Keep。

Sign in - Google Accounts

スマフォとPC、クラウドがシームレスで使える。画像なども取り込める。なんにんもで共有できる。私が使った来た「To Do」ツールの中では出色のでき。

経営者は社員の物心両面の幸福こそを目的とすべき

3pFさんのツイットでようやくお偉い方々がなにを意図しているか分かった。

おもわずブクマしてしまった。

もっともっと生活を豊かにしたい、幸せになりたいと想わない人間はいない。自分たちと若者を別の人種のように扱う時点で経営者失格だな。従業員の幸せをもっともっと経営者は真摯に願うべき。

http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/3pF/status/820072211486621696

元の発言はこれ。

榊原氏は、収益が拡大した企業に賃上げを求めることは引き続き行うとしながらも「過去3年賃金引上げを続けているにもかかわらず個人消費が伸びていない」とコメント。子育て世帯の教育費負担や、消費者の節約志向などを一例に挙げ、「これらの点に何ら手をつけないままでは、経済界が賃金引上げに取り組んでも消費は拡大しない。こうした課題に官民あげて取り組むことが必要」などとして、政府に対しても原因分析など将来不安の解消にも取り組むよう要請するとした。

「賃上げしても消費は拡大しない」 経団連会長、政府に対策要請へ

自分の社員が将来を不安に思っていることを人のせいにしてはならない。経営者は、社員の賃上げこそを喜びとすべき。もちろん、GMの例が示すように、社員の物質面の幸福実現だけでは組合やら、個人のエゴを強くし、ドラッカーが手がけたいい会社であったのに倒れてしまった。「物心両面の幸福」というのがとても大事だと想う。「心」も満足していれば、社員は未来を考える。

私は、京セラを創業したときから、会社は社員の物心両面の幸せを追求することが目的だと思ってきました。それは京セラの企業理念の冒頭にも掲げています。 そしてJALの企業理念を、京セラと同様に「全社員の物心両面の幸福を追求する」としました。

全社員の物心両面の幸福を追求する(稲盛和夫が直言【1】)|アイデアの商品化・事業化・自社ブランド創設・利益アップ対策ブログ@公認会計士・税理士 土井 善弘

JALの再生も実にいい例。

フロムダ予想

id:fromdusktildawnさんが、10年前に書かれた20年後の日本社会の在り方が現実味を帯びてきたように想う。ネットの高速化による海外からの家庭教師、仕事のログが当たり前になるなど、するどい論点がばんばん出てくる。実際、フィリピン人による英会話「ウェブ」教師は当たり前になった。想ったよりもテレビ会議は普及がいまいちだが、SFAやメール、大容量クラウドを使ったログの残る打ち合わせ、やりとりは田舎の会社まで当たり前になった。ここでは、雇用についての「フロムダ予想」だけを論じたい。

日本のような先進国が、発展途上国化することとなった。途上国だけでなく、先進国も、辺鄙な山村には、文明から隔絶された自給自足の農民が暮らしている。先進国において、近代文明の象徴であった男女平等の結婚制度は崩壊し、中世の一夫多妻制に逆行した。産業革命によって、労働者として独立した使用人たちは、またもとの使用人に戻っていった。

西暦2026年の日本 - 分裂勘違い君劇場

フロムダさんが呼ぶ「日本のメキシコ化」は戯画化され、誇張されて描かれているが、この背景には経済学の競争優位の考え方がある。しかし、この言葉、概念ほど経済学用語で誤解を受けてきた言葉はないだろう。フロムダさんが正確に理解されていることは、当時の議論を想えばなんの疑問もない。

その一歩手前に市場の拡大のみが雇用の拡大を生んだという指摘がある。フロムダさんは、中世領主制度までさかのぼってこの話しをしている。中世の農奴制度が開梱による労働市場の激化によってのみ、みんなが幸せになれる制度に移行できたと。市場拡大が不可欠であるという指摘の後、日本の状況についてこう書いていらっしゃる。

ときどき「景気が良くなっても労働者の賃金は上がらなかったじゃないか」ということが言われることもありますが、これはタイムラグのせいでそう見えるだけでしょう。実際には、景気が良くなってビジネスが拡大し、企業が十分潤い、資産家が潤い、高所得者が潤う期間が十分に長く続いた後、最後に労働者の人手不足の深刻化が臨界点を越え、労働者の待遇改善が引き起こされるのが歴史上繰り返されてきたパターンです。ところが、ここ20年ぐらいの日本では、人手不足が深刻化して労働者の待遇が改善されるほどの力強い景気回復は一度も起きていないのです。

人類史上何度も起きた、クソ労働環境の劇的な改善の原因 - 分裂勘違い君劇場

残念ながら、この20年はすでに30年を超えたと言っていい。しかし、昨年の「保育園落ちた、日本死ね!」という激しい言葉で語られた保育所の問題あたりから状況が変わってきていると私には想える。フロムダさんの競争優位による一国ないの労働状況の改善という現象が起こっているように想える。

http://fromdusktildawn.sub.jp/productivity/wagegoingup.png

http://fromdusktildawn.sub.jp/productivity/upwage.png

http://fromdusktildawn.sub.jp/productivity/wagefactor.png

「他人の生産性が向上すると自分の給料も増えるのか?」を中学生でもわかるように図解してみました - 分裂勘違い君劇場

詳しい議論はぜひフロムダさんのエントリーそのものを。私にはフロムダさんのようなわかりやすい文章はかけそうにない。

残念ながら、この図の「工場」にあたるのは、現在の日本では自動車しかない。ああ、あと一部の工作機械かな。以下のフロムダさんの文章の「工場」を「自動車産業」に置き換えて読むとリアリティと危機感がます。

現実の社会では、工場が依存するのは、清掃会社だけではありません。
運送会社、電話会社、不動産会社、建設会社、などなどたくさんの会社に依存してビジネスをしています。

そして、工場労働者自身も、たくさんの他の国内産業に依存して生活をしています。
工場も、工場労働者も、実にたくさんの国内産業に依存することで成り立っているのです。

ともあれ、日本の生産性の高い産業を支えるために保育所などの周辺的な雇用の促進が進み、実際に里山に帰る地域再生の動きが確定的になり、海外の労働者の受入がそれなりには進んでいる2017年現在は全く暗黒という訳ではなく、明るい「2026年のメキシコ化した日本」に向かっているように私には見える。

特に、オチも、フロムダさん以上の見解も示せないが、フロムダ予想の20年間に中間の現在として書いておきたかったので書いた。

人生無一物

人が生きるのにお金は必要か?西田天香さんが出した答えは、「否」であった。

どんな数でも零で割りますと無限になる。南無阿弥陀仏に本当に生きた一人の住職があるならば、その檀家はみな長者になったといってもよろしい。祖師の御足の後を歩む住職の後方から檀家はみな歩んでいくべきです。(中略)賢がって変わったことをなさらないでもよい。祖師の通り、生活まで貫いて大安心をきめてみれば、あとに残っている今までの財産は仏様からの預かりものとなってしまうのであります。奪い合いすることも睨み合いすることもいらぬ。生活だけはしかがたないということもいらない。この生活を教えて及ぼせば唯物史観側の改造論に劣らぬものができるはずです。

「懺悔の生活」 - HPO機密日誌

この「預かりもの」という感覚はとても大事。日本の伝統、社会の取り決めというのは、すべてこの「預かりもの」という感覚を共有することから出ている。ずいぶん長らく日本の地方では物々交換、共有地の里山が残っていた。そして、それを支える「講」などの組織も残ってきた。こうした社会的に豊かと想われる人間関係、社会の在り方を西欧流に言うとソーシャル・キャピタルというらしい。ああ、またキャピタルというお金が出てきてしまう。どうしても、お金に換算しないと気が済まないらしい。

日本に弱点があるとすれば、これまで蓄えてきたソーシャルキャピタルを使いはたしてしまったことだ。えいえいと室町時代から、農村から、江戸時代から、築いてきた人と人との付き合い方は、明治維新にも、太平洋戦争にも、耐え抜いてくることができた。しかし、戦後の教育と流動性の高さが人と人との付き合い方を変え、生まれて、教育されて、仕事をして、自分の始末をして、結婚をして、また子どもを産むというサイクルを、人とのソーシャルキャピタルの中で一人前にやっていくことがなくなってしまった。

派遣村だかなんだか知らないが、天涯孤独で生まれてきたわけでもあるまい。縁遠になっているとはいえ、田舎だってあるだろう。それが、その場所で生まれたわけでもない日比谷で年越しをするのはいったいどういうソーシャルキャピタルなのだろうか?ちなみに、田舎によっては仕事はあるぜ。私の知人は「これでようやく人を採用できる」と胸をなでおろしていた。

ソーシャルキャピタル不況、あるいは日本の没落 - HPO機密日誌

お金に換算してしまったとたんに、価値と時間が普遍性と不朽性を持つ。人と人との関係性、その村のもつ独自の工夫、構造がすべて数字に置き換えられ、他のものやら、関係性と交換可能になる。それどころか、その価値が数字である限り、その価値を維持、発展するためにかかるコスト、犠牲が見えなくなってしまう。

(中略)

ももちさんはよく「交換」、「贈与」、「純粋贈与」という話をされる。「交換」と「贈与」は、そのコミュニティーというか、社会の中での行為だが、それらの経済活動の根底を支えるのは「純粋贈与」なのだとよくおっしゃる(と私は理解している)。農業では、太陽、水、大地の恵みがなければ生産できない。地域経済にあっては、国家、地方政府の助けというのがどうしても大きい。一般の経済においても、エントロピーというか、経済の数字で測れない地球規模の環境や資源が存在していることが大前提になっている。

(中略)

いま目に見える経済が不景気とか、金融危機だの言われている。現下の状況について、「エンデの遺言」を読んだ勉強会の参加者の間では、以下のような共有の理解があったように思う。

「現実に存在するすべてのものは時間がたつにつれて劣化したり、老化したり、維持のためのコストがかかるのに、お金だけはあたかも神のように価値が変わらない。価値が変わらないばかりか、この無慈悲な神は利息を生むことを強要する。」

ネット通貨の勉強会の報告と人に残された時間 - HPO機密日誌

お金が危険なのは、まさにこの共通認識の通り、誰とでも交換でき、価値が認められている上に、維持にコストがかからないどころか、逆に利息を生まなくてはならなくなる。まさに、「強要」される。誰に?自分自身の欲望によってだ。

(人の欲望を駆動するものとは)「はてしない物語」に出てくる虚無の使いの「嘘」と「ファンタシー」に関する話なのだろう。「ファンタージェン」の住人が「虚無」の穴から「こちら」へ来るときに「嘘」に変わってしまうというくだりだ。(個別個別の願いやファンタジーが、お金という「嘘」にかわってしまうのだ。)

お金に対する欲望は限りない。過去いくつの殺人や、手ひどい裏切りがお金に対する欲望のために行われてきたか数え切れないだろう。しかし、もともと人が欲望の対象とするのは、お金ではない。ずっと考えてきた。安冨先生の貨幣モデルと、情報媒介者としての「商人」思考実験は重要だ。人と人との「取引」には、貨幣か、商人の存在が不可欠であることを安冨先生は示された。取引の貨幣モデルでも、商人モデルでも、「他人が欲しがるものを人は欲しがる」という傾向によって貨幣が生成し、商人は取引を完遂できる。安冨先生から引き出された、この結論にとても納得するものがあった。

安冨先生のおっしゃる「商人」とは元にもどってソーシャルキャピタル、人と人との個別の関係性だと言っていい。安冨先生の「商人」モデルとは、元にもどって西田天香さんの人生無一物という生き方が普遍的に実現可能であることを示したと私には想える。

ブログ開始13年にして、なにを書くことによって求めてきたか少し見えてきた。これまで教え、育てていただいたみなさんに心から感謝したい。

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「下坐に生きる」 読了

電車の移動の時間で夢中になって読んだ。タイトルの通り「下坐に生きる」方々の生き様を教えていただいた。マザー・テレサに会いに行かれて、神の愛に生きるとは、自分が神に愛されていることを身をもって感じるからこそ、「貧しい人の中でも最も貧しい人に仕える」ことができることを知ったと。

あるいは、中村天風氏の生き方を通して瞑想を通して心を清浄にし、自分を「生かす」のではなく「活かす」ことが、自分が大きなエネルギーにつながるのだと。そのためには、まずは心、そして、言葉から絶対の積極となるのだと。

本書の中の「六然」は、父がとても好きだったと思い出した。

『六然』
自處超然
處人藹然
有事斬然
無事澄然
得意澹然
失意泰然


自分に対してとらわれず、人には和やかに接し、一旦事あるときはてきぱき処理し、事なきときはさわやかに、得意絶頂のときはあっさりと過ごし、失意のときにゆったりと構える。

https://www.amazon.co.jp/dp/4884745116

安岡正篤はその勉強会に来ていた財界人が経済団体や政府の諮問委員会の長に就任したとき、よく色紙に揮毫(きごう)して贈った言葉に、明の崔後渠(さいこうきょ)の「六然訓(りくぜんくん)」がある。

「六然訓」を知って以来、少しでもそういう境地に身心を置きたいものと考えた――安岡正篤師 - 電脳筆写 『 心 超 臨 界 』

よくよく心を清浄にして、得意澹然、失意泰然と、なにがあってもたんたんと生きていけるようになりたいものだ。

「下坐に生きる」を読み始める

神渡良平先生の本をようやく読み始めた。冒頭の話しから涙。

下坐に生きる (Chichi‐select)

下坐に生きる (Chichi‐select)

冒頭の坂村真民の言葉から素晴らしい。

下坐という言葉と、その文字は、私の好きな、そして私の性格に合ったものであり、また生きるという言葉は、わたくしの一生を通して、わたくしの背骨を形成してきたと言ってよいものである。

下坐とは、と書きかけて「坐」の字を「座」と間違えていたことに気づいた。坐とは、屋根のない地面の上で人と人がすわること。人と仏が対等に向き合うことだと真民さんはおっしゃる。「座」では屋根がついているので、違うと。大地の上で、しかも人よりも下に坐ることが下坐であると。マザー・テレサも、一遍上人もみなそうだと。

この下坐を実践されたのが、冒頭の一燈園の三上和志さんのこと。三上さんがある病院を訪れた時に、であった18才の結核患者の少年。父が誰かも分からず、母もお産でなくなり、誰かも望まれないまま生を受け、育ったまさしく孤児。死の床にあるにも関わらず、誰にも心を開かず医者にまで喧嘩を売る始末だったと。そんな少年が三上さんの下坐の行動、無償の愛によって心を開いたお話しが冒頭に書かれている。

一燈園には、ご縁があり一度伺ったことがある。

hpo.hatenablog.com

よくよく心にしみこませながら、本書を読みたい。

Fantastic Beasts and Where to Find Them (ネタバレあり)

ようやく観てきた、二回も。

wwws.warnerbros.co.jp

しかし、なんでサブタイトルの「Where to Find Them」が「魔法使いの旅」になるんだろう?実際に本まで出版していることに基づく映画なのに、しかも、シリーズになるはずだろうに、なぜ?

幻の動物とその生息地 (ホグワーツ校指定教科書 (1))

幻の動物とその生息地 (ホグワーツ校指定教科書 (1))

いや、映画はとてもよかった。主人公のニュート・スキャマンダーを演じるエディ・レッドメインは、「博士と彼女のセオリー」のホーキング教授役以来興味を持って観ている。「セオリー」の妻役だったフェリシティ・ジョーンズが、「ローグ・ワン」で大抜擢されているし、よきかなと。

Fantastic Beasts and Where to Find Them

FANTASTIC BEASTS AND WHERE TO FIND THEM – Official Movie Site - Now Playing In Theaters

ティナは、一回目観た時、なんかちょっと変!とか想ったのだが、背景を理解して二回目みるとよくよく通じる。J.K.ローリング氏の描くキャラはどこか内気というか、謙虚さを感じる。ニュートももちろんだが、ティナもそういう性格なのだと共感するとよくわかる。

で、ティナの妹、クイニー・ゴールドスタインを演じるアリソン・スドルに興味をもった。とても声が素敵、やさしさが伝わる方だと。調べてみたら、なんと彼女は、ファイン・フレンジーという名前で早くからシンガーソングライターとして活躍しているという。びっくり!

www.youtube.com

映画の日本語のサイト、ローリング氏直筆の米国の「アメリカ合衆国魔法議会」の歴史説明が力が入っている。これはこのシリーズは英国ではなく、アメリカを舞台に今後展開されるということなのだろうか?

www.pottermore.com

この中で「ウールワースビルのふくろう」について触れている。なんと実在すると。

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左上:ニューヨークのブロードウェイ。
右上:Catfordブロードウェイ劇場。
左下:マンハッタン、ニューヨークのウールワースビル
右下:コネチカット州のトランブルの橋の上。

今後が楽しみかなと。

blog.imalive7799.com