HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

白井晟一の松濤美術館

ようやく訪問することができた。感激した。

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受付で、建築に興味があるので写真をとってもいいですか?と聞いたら、胸にかける許可証をくださった。そのお陰で地下二階の建築模型まで見学できて胸が熱くなった!

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松濤美術館のみなさまに感謝!

一緒に購入してきた対談集も楽しみ。

白井晟一、建築を語る―対談と座談

白井晟一、建築を語る―対談と座談

白井晟一さんの作品は、どこか気品と色気を感じる。古いヨーロッパの教会の重々しさと神聖さ、静謐さがある。とても好きな建築だ。

「有機ELの破壊力 主役は韓台中、日本は脇役に」

たまたま、昨日目にした日経ビジネスの特集号、「有機ELの破壊力 主役は韓台中、日本は脇役に」。「大学教授が考えた1年で90を切れるゴルフ上達法!」の城戸淳二先生の言葉も載っていた。

ともあれ。ポーランドアルカディアというショッピングセンターで見た光景が思い起こされた。

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サムスン、LGの有機ELの大型ディスプレイが堂々と飾られていた。湾曲したディスプレイで、発色が素人目にも大変鮮明だった。近くに置いてあった日本のメーカーの液晶ディスプレーの機種が色あせて見えるほどだった。まさか東欧でこんな光景を目の当たりにするとは想っていなかった。最近、日本の家電量販店に行っていないが日本でも同じ光景なのだろうか?液晶に特化してしまった日本はなかなか有機ELの実用化に踏み切れないでいるうちに、すっかり韓国、台湾にやられてしまったようだ。

business.nikkeibp.co.jp

適当な参照先が出てこないが、有機EL開発の失敗もひとつの原因となりソニーのトップを辞めた出井伸之さんのことが思い起こされる。たぶん、日本のメーカーにとっては、「ソニーですら有機ELを実用化できなかった。まだまだ液晶だ」と想わせるに足る弁明だった。

ideal2ch.livedoor.biz

3年後には有機ELテレビが主流になり、液晶テレビはなくなります。

どんな思いでこの言葉を話されたか。

雨の日のゴルフは

大雨の中のゴルフコンペとなった。200人弱が参加するコンペなので、そうそうには中止にできない事情が確かにあった。にしても、途中でグリーンが池のようになってしまった。もともと水はけはよいゴルフ場なのだが、ここのところ続く大雨でだいぶ地中に水がたまっていたのだろう。パターで5mのつもりで打っても、2mも進まない。ゴルフボールがシュルシュルと音をたてながら、水を巻いて転がっていた。

それでも、生まれて初めてお店できちんと試打をして購入したドライバーが好調で、ハーフ49。それ以上は雨のためまわらせてもらえなかった。

そうそう、ドライバー。この話しを書いておかないと。

ここのところ、アイアンは割と好調で7番アイアンで140ヤードとか150ヤードくらい飛んでいる。力を抜いても、きちんと振れていれば、距離がでるのだと実感している。振り抜けている気がする。ところが、お気に入りだったSLDRのフェアウェーウッドとドライバーが絶不調。そこで、つい先日の休み、行きつけのショップでゴルフクラブセット全部のバランス、長さ、重さ等を計測してもらった。必要ヘッドスピード別に比べたグラフを作ってもらったのだが、確かにこの2本が飛び抜けてヘッドスピードを必要としているとのこと。

で、購入したのがこれ。シャフトはR。

ちなみに、試打して計測してもらうとボールの逆回転がありすぎると。「ぽーんと飛んで、途中で失速する感じで落ちてランが出てくる感じでは?」と言われた。ああ、確かにと。で、雨の日の方がゴルフのスコアがまとまる感じがするのは、ボールが落ちてすぐに止まるからではないかと考えた。この辺が今後の改善方向かなと。

石畳と街づくり

先日の東欧視察で歴史的街区の石畳が素晴らしいなと実感した。そもそもあれらの街角が、アスファルト舗装なら雰囲気は全くぶち壊しになっていただろう。

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アレックス・カーに語らせるまでもなく、国土をコンクリートアスファルトで塗り固め、京都に代表される日本の伝統家屋、建築を破壊し尽くす日本人は、テクノロジーも美意識もないと。

犬と鬼-知られざる日本の肖像-

犬と鬼-知られざる日本の肖像-

石畳もそうで、いわくメンテナンスが大変、いわく自動車の燃費が、いわくハイヒールのかかとが傷つく、いわく誰かが怪我したら、などなど否定論しか出てこない。工事現場をいくつか見かけたが、再生できるように石畳をひっくり返し、現代的生活に必要なインフラを埋め込んでいたように見えた。写真を撮り損ねたのが残念。アスファルトでは、その場で再生とはいかない。インフラ整備の工事のために剝ぎとったアスファルトは、再生工場に運び莫大なエネルギーをかけて再利用する。

市内のすべての道路を石畳なしろとは言わないが、ポイント、ポイントで活用するのは有効。鳥取鹿野町など実にセンスのよい石畳づかいをしていた。

hpo.hatenablog.com


また鹿野の昔の写真を探して掲載したい。

The 100 Season 2

休みの日をつぶして、見まくった。

シーズン1からの緊迫した生きるか死ぬかの状況がちょっと一段落なので、ここから先はよくよく注意して自重したい。

hpo.hatenablog.com

つーか、なんでなんでクラークが同性愛者になっちゃうのかな?原作の小説版では違ったはず、ヘテロセクシュアルなはず。

ワルシャワ蜂起

ワルシャワを訪れたときの印象を書き落としていた。大統領府の前に一連の写真が立てかけてあった。

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地元の方に聞くと、昔からずっと飾ってあったそうだが、ワルシャワ蜂起の時に戦った方々の写真だと。

その後、ドイツ軍による懲罰的攻撃によりワルシャワは徹底した破壊にさらされ、蜂起参加者はテロリストとされ、レジスタンス・市民を合わせて約22万人が戦死・処刑で死亡したと言われる。しかし、イギリス政府がワルシャワレジスタンスを処刑した者は戦犯とみなすとラジオを通して警告したため、レジスタンスへの処刑は止んだ。10月2日、国内軍はドイツ軍に降伏し、蜂起は完全に鎮圧された。翌日、ワルシャワ工科大学に国内軍は行進し、降伏式典の後、武装解除された。降伏した国内軍は、捕虜として収容所に送られた。しかし、武装解除に応ぜず、地下に潜伏して抵抗を続ける者も多かった。

ワルシャワ蜂起 - Wikipedia

あまりに沈痛なできごとであるが、大統領府の前にいまも飾り続けていることにポーランドの国民性、その悲劇的な歴史を思い起こさざるを得ない。ワルシャワ・ゲットー蜂起と合わせて、よくよく学び、そして記憶にとどめておきたい。

hpo.hatenablog.com

意識は言語とともにあり、言語は人とともにある

「ユーザーイリュージョン」をなかなか読みあぐねている。読むまでもなく、自分を内省するだけでも「意識」とは「部下の報告の悪い会社の社長」のような存在にすぎないと想えてくる。

ユーザーイリュージョン―意識という幻想

ユーザーイリュージョン―意識という幻想

「私」という意識のつながりと、発話したり、手を動かしたりする身体全体の行動とが本来一致するわけはないのだ。「私」以前に身体全体のエージェントが共同作業で動いていて、意識に自分が決定していうと思わせるとより先に、手や足や声帯に指令を送っているのでないとタイミングが合わない。いわば、「私」という意識は、事後連絡しかいかない会社組織の「社長」と同じなのだと、彼は言って笑った。

意識の組成 - HPO機密日誌

感覚の方が鮮明だ。意識はぶれるし、遅いし、自意識過剰になるし、ろくなことはない。感覚だけで生きて行けたら、何の悩みもなくなるだろうし百倍いい。では、一体なんのために意識はあるのか?あまりに自明なことなので、誰も言わないが、意識は他の人間と協力するためにある。ようやく気づいた。

「繁栄」の中で(絶滅した)ネアンデルタール人は「分業」できなかったが、(現生人類につながる)クロマニヨン人は「分業」できたという話しがあった。争いを避けるために発生した「礼儀」が互いに尊重し合うことに発展し、「分業」を可能にしたのだと私は信じる。「礼儀」の発生の時から、人の生産性の向上とは比較優位=分業以外にない。分業して、専門性を高める以外にどのような生産性向上の方法を人は発見できたか?冷静に考えてみると、ない。

「礼儀」という比較優位 - HPO機密日誌

残念なことに、感覚だけでは高度な協力はできない。思考実験してみよう。「赤い」という感覚を共有するためには、「赤い」という言葉を持たなければならない。「赤い」感覚そのものは共有できない。感覚を共有できる言葉を持つためには、「赤い」という感覚を言葉として発語するための「主体」が必要となる。協力行動のために単語では足らない。単語を超えて、二語文以上を話すためには、コンテクストが必要となる。コンテクスト(context)は、「共に(con)」と「言葉(text)」から生まれたことは自明。「意識は言葉と共にあり」ということだ。主体がなぜ必要かは、人間の集団において代表者が必要なことを思い浮かべればわかる。そうそう、会社においては対外的に会社を代表するために社長が必要だし、国では国家元首が必要。

こう考えると、社会というネットワークで生きることを選んだ人間には、主体=ノードであるために意識がどうしても必要となった。そして、また言葉と主体と経済はごくごく初期から一体であった。ここで、「経済」とは人間の協力、分業、交換、売買の活動を指す。

ネットワークにおいて、あるノードが果たす役割は、そのノードと同じ瞬間にリンクしている他の全てのノードとの関係によって、またそれによってのみ決定される。ノードは、他のノードとの関係においてのみある役割を持つのであって、単独で存在するノードには意味がない。

わぁったぁ!!!!! - HPO機密日誌

つまりは、意識とは人と人とが協力するため、コミュニケーションのためにあるのだとようやく気づいた。なんという矛盾だろう。